フェロモン?


「あれ、今日は練習なしじゃ」
「忘れもん」
「あ。わかった、これでしょ」
「ん」

日曜日。祖父の店を手伝っていた平良は忘れもの事に気付きガレージに来た。
休みで誰も居ないだろうと思っていたがそこには1人掃除をしているささらの姿。
先月は誕生日に素敵な贈り物をしてくれたばかりだ。

「また大会あるんでしょう?頑張ってね」
「ああ」
「私もまだドラム頑張ってるんだ。お兄ちゃんに教えてもらってるの」

なんて軽く言うけれどセンスのないささらは何度も挫折しそうになった。
その度に投げ出しそうになって。こっそり泣きそうにもなった。
でも、すべては自分に自信を持てるように。負けない強さを持つ為に。

「あんま無茶すんなよ」
「うん。それはお兄ちゃんにもよく言われる」

話をしながらもせっせと掃除するささら。窓を開けっぱなして空気を入れ替え、
重いだろうにソファを外へ出して叩いて。窓を拭いて冷蔵庫も綺麗に拭いて。
忘れ物を取ったらさっさと帰るつもりだったけれど。

「俺は何したらいい」
「え?手伝ってくれるの?じゃあ、ソファ入れて」

ささらを1人置いてはいけない。彼女を手伝う事にした。
3月に入ったばかりだというのに今日は日差しが厳しい。
動き回り必死に掃除するささらは熱いのか薄着で汗だくだ。

「…結構重いな」
「でしょ。私も軽く見てたら甘かった。平良君来てくれてよかった」
「片倉さん呼べよ」
「バイト」

外に干していたソファを中に入れる。予想外に重量があった。
これらを全部1人で外に出すなんて女の力では大変だったろうに。
特にささらは力持ちというわけではない。非力な方だ。
ソファに座って休んでいる彼女は熱そうに手で扇いで風を作る。

「なあ」

平良はその隣に座りささらの肩を抱いた。
それで彼のしたいことを察したらしく慌てて腰を引いた。

「あ。あの。ごめんなさい、今日はその、…あの日で」
「じゃ、ここ座れ」
「でも」
「ほら」

逃げ腰なささらは彼が近づくことを恐れるが断われない性格。
何度も確認して恐る恐る腰を浮かせて平良の膝に座った。
汗臭くないだろうか。ベトベトしないだろうか。不安だ。

「汗臭い…よね」
「汗もフェロモン」
「フェロモン…」

そっと聞いてみるとそんな返事が帰ってきた。
過去二色も似たような事をどこかで言っていた。
ちょっと嘘っぽいと疑っていたささらだが、
平良まで言うという事は事実なのかもしれない。

「……」
「んっ」

何て考えていたらペロっと首筋を舐められた。
ビクっと体が反応して身構える。
汗だくの首なんてそんな美味しくないのに。

「しょっぱ」
「あ、当たり前だよ。…ビックリした」
「やっぱこっちだな」

ドキドキしているささらの頬を捉えキス。やることが早すぎて目が回る。
そのままささらはキスしやすいように彼に跨るように正面を向いて。
平良の首に手を回す。キスはあまり得意じゃないけど。何とか堪える。

「…はあ」

やっと唇が離れてささらは大きく息を吐く。

「苦しそうだな」
「…ちょと」
「力抜け」
「うん」

キスの余韻だろうか。とろんとした目をして平良に身を任せる。
熱かったのも忘れるくらい抱きしめられて心地いいなんて。
キスの練習をしたのが懐かしい。どんどん昔の自分じゃなくなっていく。

「まだ慣れないか?」
「…どうかな」

この感覚は慣れとは違う気がする。まだ戸惑うこともいっぱいある。
ギュッと平良に抱きついたままぼんやりとした頭で考えてみた。
人生を振り返るにはまだ早いけど。もう一生分愛された気がする。

「寝たのか?」
「…平良君の匂い好き」
「あ?」

黙ってしまったささらに疲れて寝たのかと肩を揺らしたら。
返ってきた言葉がそれで。

「フェロモンって奴だね」
「香水だ」
「香水か…はは」
「今度お前も買うか?付き合ってやるよ」
「うん。平良君に選んでもらえたら」
「じゃ、まずお前の匂いを嗅ぐ」
「えええ!?じゃあいらないよ!やめて!やだー!」

ささらを抱きしめ匂いを嗅ぎ始める平良に必死の抵抗。
香水は持ってないから欲しかったけど、
体臭嗅がなきゃ無理なら要らない。一生要らない。

「ささら。兄ちゃんも手伝っ」

空気を読まずに入ってきたのは諒太郎。
入るなりイチャついている2人を見て固まる。あれ?何で平良?
今日は練習も休みで入るはずのないメンバーが堂々と座っている。

「えっと、…バイトは」

平良に食いつかれながらも何とか顔を兄へ向けるささら。

「あ、ああ。昼までで終った…じゃない。何時までくっ付いてんだ!」
「お兄ちゃん落ち着いて」

諒太郎には厳しいルールがあるが平良にはない。
ただ1人と関係を持つと皆とも平等にとなるから面倒だが。
今は別にキスしただけ。怒られるほどの事はしてない。

「後は俺が手伝う」
「はいはい」
「何かムカつく言い方だなお前」

嫉妬丸出しで怒る諒太郎に冷めた態度の平良。
その感じが気に入らないようで嫌な空気に。
せっかく掃除をしていい気分だったのに。

「やめて、喧嘩しないで」
「ああ、ごめんな。泣くな」
「私、買出し行ってくるね」
「俺も行くよ、足あったほうがいいだろ」
「ううん、運動したいから。歩いていく」

こんな時は離れた方が良い。
エリの言葉に従いささらはガレージを出た。歩いて近くのコンビニまで。
仲直りしてもらえるようにアイスも購入して。でも戻ると平良のバイクがない。

「アイツは帰ったよ」
「そっか。アイス、買ってきたんだけど」
「いいって。また会えるんだし」

ガレージに顔を出したら諒太郎が座っていて。平良は居ない。
残念に思いながら冷蔵庫に買ってきた物を入れる。
アイスを諒太郎に渡して自分も食べようと手に取った。

「お兄ちゃん」
「分かってる。俺が悪かった。ごめんなさい」

もうしません深々と頭を下げる諒太郎。
どうやら冷静になってくれたらしい。

「じゃあ、ちゃんと平良君と仲良くしてね?」
「うん。する」
「もう少しだけ片づけが残ってるの。食べたら手伝って」
「おう」

後半は諒太郎と一緒にガレージの掃除。
諒太郎にとっても思いいれのある大事な練習場所だから
何時も以上に丹念に磨いて綺麗にした。

「もう終りか?」
「うん。凄い丁寧に掃除してたねお兄ちゃん」
「だって。不衛生だとお前が大変だろうから」
「え」
「…えっちの時とか」

恥かしそうに言う諒太郎。だが恥かしいのはささらのほうだ。
幼い頃から親しんできたガレージがバンドの練習で頑張っている場所が。
男たちがヤル気になった途端に簡易ラブホに早代わり。
何て悲しいことだろう。ささらは何も言えなかった。言いたくなかった。



「3人で打ち上げってのも面白いな」
「何で俺まで」
「もー!またお酒飲んでる!駄目なんだってば!」

夕方。諒太郎のアイデアで平良を呼んで3人で打ち上げ。
それは構わないのだが手に危なっかしいアルコールが。
ささらは必死に止めたのだが聞いてはくれない。

「いいだろ、お前には飲まさねえんだから」
「そうそうー」
「…もぅ」

確かに今は飲まされる心配も襲われる心配もないけど。
仕方なく料理を食べる。美味しいから居酒屋自体は好き。
無心になって食べていると平良の視線を感じて。

「なあ」
「ん?」
「俺の匂い、好きなんだ」

ギクっとした。何で今その話題をふるのだろう。
それにあれは香水じゃなかったのか。
微妙に微笑んでいる平良の顔が怖い。

「俺の、俺の匂いだって…好き、だよな?な?」

ショックだったのは諒太郎も同じ。何度接近しても
お兄ちゃんの匂いが好きなんて言われた事がない。
差をつけられたような気がしてささらに詰め寄る。
座敷なので外からは何が起こっているのか見えない。

「えぇ…う、うん、…す、すき」

恐い。助けて。ヘルプ。SOS。

「無理すんなよ」
「平良くんーーーっ」

煽らないで。お願いだから。涙目で訴えるが彼はまた少し笑っている。
もしかして諒太郎に邪魔された仕返し?いや、困ってるのはささらなのだが。
確かに好きと言ったのは自分だけど。まさかこんな事になるなんて。
もしかして下手したら二色や高宮や健太郎まで…。

「俺の事好きだよな」
「す、すごい飛躍」
「嫌いか?」
「お兄ちゃん酔っ払ってない?」
「ささら」

ジワジワ追い詰められてついに背中に壁。諒太郎は不安げな顔のまま近づいてくる。
もしかして匂いかいでくれとか言うんじゃないだろうな。
正直バイト帰りの兄は時々汗臭かったりする。いやだ。嗅ぎたくない。

「やーーーーー!離れろー!」
「あいたたた」

追い詰められたささらは諒太郎の顔を思いっきり押し返す。
これは結構効いたようで兄は渋々元の席に戻った。
平良は面白いものが見れたと1人大うけ。酷い意地悪だ。


「平良君」

食事を終えて、平良はバイクを引いて1人帰る。
そんな彼を追いかけて声をかけた。
諒太郎は気を利かせてついてこない。

「ん」
「今日はありがとう。何かと付き合ってもらって」
「ああ。こっちもいいモン見れた」
「もう。意地悪なんだから」

思い出してまた笑う平良にささらはふくれっ面をする。

「香水見に行こう」
「うん」
「じゃ」
「またね」

手を振るとかるく振り替えしてくれて彼は去っていく。
その後姿をジッと見つめていた。夕暮れの空。
また会えるのに何となく寂しい景色だ。

「あ」
「ん?何?また忘れ物?」

途中で立ち止まった平良。ささらは急いで駆け寄るが。

「お前のフェロモン、全部好きだ」

平然とした顔でそんな事言わないで。声も結構大きいし。
ささらは何も言い返せなかった。恥かしくて。顔が真っ赤で。
平良は肩を震わせながら去っていく。きっと笑ってたんだろう。
酷い。今日はずっと笑われっぱなしだった。


「お兄ちゃん苦しい」

待っている兄の元へ戻ると寂しそうな顔をしていて。
帰ろうと歩き出したささらの手を引っ張って抱き寄せた。
また少し力んでいるのか痛い抱擁。

「今日は一緒に寝よう」
「え」
「嫌か」

余裕がない声をしている。またヤキモチを妬いてるんだ。
ささらは痛い抱擁と声の調子でそれを察した。

「兄ちゃん遅くまで寝かせてくれないんだもん」
「話したいんだ。触れたいんだ。…寝るのが惜しくなるくらい」
「しょうがないですね。…寝ましょう」
「うん」

手を繋いで家路につく。嬉しそうに笑う兄を見て、
一緒に住んでいるから色んな場面を見てしまうんだろうなと思った。
今までそんな事を考えなかったから、ふと可哀そうに思えた。
でも、それはきっと諒太郎も分かっている。分かっていて選んだ道だ。



「ささら専用の枕だよ」
「わあ、熊さん!可愛い!」

風呂は別だったが寝るときは諒太郎の部屋へこっそり忍び込む。
相変わらず物が散乱している汚い部屋だがベッドだけは綺麗。
そしてささらの為に買った熊の形をした柔らかな枕。

「さぁ。寝るぞ」
「ね。お兄ちゃん」
「ん」

電気を消そうとした諒太郎の腰にギュッと抱きついて。
その体温を感じる。風呂上りだから同じボディソープの香り。
でもって仄かに諒太郎の匂いもする。これは嫌いじゃない。

「お風呂上りのお兄ちゃんの匂い好き」
「ささら」

一瞬嬉しそうな声をだす諒太郎。だが。

「きゃ」
「風呂上りって何で限定なんだ?」

目を細め問い詰めるような顔をしてささらを組み敷く。

「え。っと。…おやすみなさーい」
「答えるまで寝かしませんよささらちゃん?」
「いやん」
「いやんじゃない」

やらしいことをする気はないようだがささらの両手首を掴み
身動きを取れないようにしているのは普通に怖い。
キツくはないけど視線が怖い。ウルウルと瞳を潤ませ
もう寝ましょうと言っても無視された。こういう時は強い兄。

「…ばかん」
「ばかんでもない。臭いのか。俺はそんなに臭いのか」
「そ、そうでもないよ?…たぶん」
「目を逸らさず全てを話してくれ」

言ったら言ったで大泣きするくせに。

「それより、…キスしたいな」
「ささら」
「…ね」
「……仕方ない」

ささらの誘惑には勝てなかったようで。
キスして漸く解放され眠りについた。


つづく


2007/06/19

inserted by FC2 system