金木犀



悪戦苦闘 ...05




現実から逃げ出せる翼をください。これが全部悪い夢でありますように。
朝起きたら狭くて汚い天井と弟の足とか妹の顔とか目の前にあるような。
そんな何時もの朝でありますように。
どうか、他人の洗濯とか叔父さんの朝食とか作らないでのんびりしてますように。

「またやけにあっさりとした朝食だね」
「文句言わないでくださいこっちは時間ないんですから」
「だけどトースト1枚って。せめてこう、何かサラダとか」
「自分で切ってください」
「それじゃ君の意味が」
「ああ!いけない!時間が無い!えっと、…それじゃ!」
「仕方のない家政婦さんだ」

必死に願ってはみたものの、やっぱり夢ではなかった。起きたら広い部屋。
分からないなりに洗濯をして慌てて制服に着替えてエプロンしてトーストを焼いて紅茶をいれて。
相手が起きてくる時間を聞くのをわすれたから先に朝ごはんを食べて、
起きてきた叔父さんとすれ違いに学校へ走る。

「おはよ由香」
「おはよう。ちゃんと現実に帰ってこれた?」
「どうやら暫くは漫画の世界にトリップしなきゃいけないみたい」
「ああそう、まあ、頑張りなさい」
「うん…」

校門で友人の由香と会う。このどうしようもない現状を理解してくれそうで実はしてない。
てっとりばやくあの家に連れていけば理解するだろうが、それでどうなる?
学校でくらいは現実を忘れたい。自分はいたって普通な17歳で父母弟妹の5人家族で、
貧乏って所を除けばいたって普通の家庭で。それなりに元気に暮らしてて。

「ほらほら。遅刻するよー」
「…うん」

早く学校終わらないかなと思っていたのが嘘みたい。
終わらないで。ずっとここに居たい。現実に戻さないで。

「でさ、今度の日曜日遊びにいかない?」
「いいけど」
「隣町にさ、でかいショッピングモール出来たんだって。買い物しようよ」
「あー。金ない」
「またまた」
「金欲しいけど、そうなるとおじさんに体を要求されるし」
「そのおじさんはアレ?8頭身の目がきらきらのキメ台詞があって美形で金持ち?」
「等身は数えた事ないけど、背は高い。顔をじっくり見てないからきらきらしてるかは知らないけど
美形なんじゃない?家の親父の弟にしてはDNAが明らかに違うし、お前なんか知らないよって感じ」

悔しいけれど、認めたくないけれど見た感じははっきり言えばカッコイイ。
涼し気で端正で。だけど中身は絶対に意地悪だ。人を弄んでる。それをどう説明すべきか。
由香が興味あるのかないのかわからないがとりあえず思ったまま答える。

「そこまでキャラ設定進んでんだ、…うわぁ」
「頼むから人を変なもの見る眼で見ないで」
「いい男紹介するから、ね?それ以上はいっちゃだめだからね」
「…うん、…もういいや」

素直に言ったら何だか痛い視線。由香の反応が普通なんだろうか、
そうなると自分はすごく痛い子になるわけで。
相談する人かたっぱしからこんな痛い視線を向けられるのは嫌だ。
だったら内緒にしよう。担任にも。よく話をする保健の先生にも。誰にも言えない。

「ていう訳で決まり」
「なにが?」
「忘れないでね。日曜日」
「ショッピングモールだっけ?だから金ないんだって」
「そんじゃ」

何がそんじゃだ。気軽に言いやがって。自分の財布をあけてみると残金429円という悲しい状況。
叔父さんからあずかっているがま口には豊富にお金が入っているけど、
絶対に手をつけないと決めている。あのおじさんの事だから金額を数えていそうだし、
ただでさえ抵抗出来ない相手。後ろめたい事はしたくない。絶対に。

「やっぱり居ない」

そんなうちにとうとう来てしまった放課後。もしかしたら誰か居るかもしれないと
向かった我が家。中に入っても誰の気配も無い。
ついでに家具もない。本当に何も無い。知らない間に家は売りにだされたらしい。
張り紙がしてあって競売中との事。もちろんそんな話きいてない。相談もされてない。


「お帰り」
「……」
「どうかした?怒ってる?」
「家が…売りに出てました」
「そう」

屋敷に戻ると叔父さんが顔を出す。憎たらしい、と思いながらも声にはしない。
怒っているように見えたのはきっと八つ当たり。
借金自体はこの人のせいではない。そんなのわかってる。
でも、自分が住んだ家をいきなり売りにだされたら誰だって不安になる。

「おじさんに借金したから?」
「かもしれないね」
「家売るとかそういう話何も聞いてないし。酷い」
「家を売ってはやくお金を作って君を迎えるためじゃないかな」
「……」

私が親元から離されたのはあんたの所為なのに、何でそんな他人事みたいに。
そういいたくなるのを必死に堪える。相手は借金している相手だから。
ここはとにかく我慢して。何処にぶつけていいのか分からない怒りを抑える。

「苦渋の選択だったと思う。家を手放すのは」
「……。二度目らしいから、その辺あんまりわかんないのかも」
「え?」
「なんでもない」

家を売るなんて大事な事を私に相談もなしにして。
こんな酷い目に遭うなら先に言ってくれたら良かったのに。
そうしたらもっとちゃんと心構えができたのに。何でこうなる?

「そんな顔しないで。明日から洗濯ものを取り込んでくれないかな」
「え?」
「今日だけだよ。私がするのは」
「はい、すいませ…」
「日がかげる前にね」
「おじさん、洗濯取ったってことは」
「なに?」
「私のも?」
「まあ、そうなるかな。仕方ないよ」

我慢しよう、堪えよう、そう思っていた感情が一気に噴出して。

「変態!」

痛恨の一撃となった。

「あいたたたっ…行き成り腹を殴らないで」
「変態!変態!」
「そう思うなら明日からは君がすることだね」
「ば…馬鹿!」

親父の洗濯物と一緒に洗濯されるのが嫌な年頃である。それが見知らぬ叔父さんに
勝手に洗濯物を触れられたなんて想像しただけで寒気がする。苛々する。
明日からは絶対に自分でしよう。
この際あの叔父さんの洗濯物を触るくらいは多めに見よう。触られるよりずっといい。



- つづく -

2008-03-01

....初稿2008年3月 / 加筆修正2015年7月.....


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