暖かい距離 3


時代を感じる街並みを一歩でたら普段と変わらぬ見慣れた本通。そこで漸く見つけたタクシー。
乗り込んで次に行く場所を決める。亜美はこの辺りの事を全く知らないから雅臣任せ。
車が走り出して暫し経ったころ。チラチラと此方を伺う亜美の視線。

「なに?」
「……別に」

気になって尋ねても強引に無視。

「そんな言い方されてしまうと余計に気になるよ」
「じゃあこれから何台の車とすれ違うか数えててください」
「嫌だよ」
「ほら今でもう2台過ぎましたよ」

気になるけれどこの様子では教えてくれそうにない。
それでも何時もならもう少し粘って聞く雅臣だがその前に目的地に到着してしまった。
料金を払って車から降りる。暖房の効いている車から降りたからか風が寒い。


「いい景色だ」
「そうですか?近所の海と何ら変わりないですけど」
「君にはまだ早いかな」
「……馬鹿にしくさって」

その寒さにもやっと慣れてきた所で目的地である海に到着。
わざわざ来なくても海はたまにデートで行く場所。さほど目新しさはないような。
もっと素敵な場所を想像していた亜美には行き先を聞いた瞬間正直がっかりした。
けれど新鮮な空気を吸って気分が良さそうな顔を見せられるとそれ以上はいえなかった。

「少し歩こうか」
「はい」

人気はまばら。でもちらほらと人の声や気配はする。
波打ち際に近づいていくうちにそれらがカップルだったり家族だったり。
犬の姿も見えて本当に何時も行く海みたい。でも、やっぱり違いがあるのだろうか。
チラっと隣の叔父さんを見る。

「19」
「え?」
「ここに到着するまでに車が通った台数。19台」
「数えてたんですか」
「それで。次は何を数えていたらいいの?」
「嫌味ったらしー」
「数えろと言ったのは亜美だけど?」

雅臣を睨んでも仕方ないとその場に座り込む。丁度歩くのにも疲れていたし。
さっきまで吹いていた風もやみ日も高く暖かい時間帯。傍では家族連れが遊んでいる。
亜美が幼い頃は海なんかにも連れて行ってくれたが弟妹が生まれて
その後母の体調が悪化してからは行ってない。

「……ねえ、雅臣さん」
「なに」
「海行った事あります?その、……家族、で」
「どうだったかな」
「もう。そういう所はあやふやなんだ」

今は何となく気になる雅臣の過去。家族の事。彼が何より大事にしていた母親の事。
ちょっとくらい教えてくれたっていいのに。それとも言いたくない話題だった?
拗ねた顔をしていてもそれとなく雅臣の肩に身を寄せて寄り添う。

「記憶なんて大事なものだけ残しておけばいい。今すぐにでも消してしまいたいものを
何時までも残しておかなければならないなんて、酷い話だと思わないかい」
「……そうかもしれないけど、でも、いい思い出だけじゃ駄目ですよ」
「そうだろうか」
「ぜーんぶ含めて今の自分が居るんじゃないですか」
「君は逞しい」
「そんな事ないです。……今にもつぶれそう」

最後の方は小声で聞かれないようにひっそりと呟く。
本当ならバイトの掛け持ちでもして家族の為にお金をいれるべきだろうし。
それが駄目でも休日何処へもいけない家族の為にしてやれる事は沢山ある。

「ほら。やっぱり嫌な記憶なんてないほうがいい」
「喧嘩したときの記憶もなくしたらまーた同じ事して喧嘩しますけど?」
「ああ。それは困るな」
「もう何時間も待たされるのは嫌ですからね」
「はい」
「理由があるなら別ですけど」

でもここに居る自分。雅臣の隣に居てその暖かさを感じている。この幸せ。
家族の顔がちらつくけれど、今くらい、ちょっとくらい、と自分を甘やかす。
周囲からは家族思いな子だなんていわれるが実際はそうでもない。

「ね。そろそろ教えてくれてもいいんじゃないかな」
「何をですか」
「タクシーに乗ってから君は10回以上私を見ているよ」

いい雰囲気だったのにまださっきの事を燻っていたようで。

「雅臣さんがイケメンだからですよ」
「そう言ってもらえるのは嬉しいけど。それが答えだとは思えない」

1度疑問に思ったら自分が納得するまで追及する男。付き合うには面倒な人。
また違う話でも振ってやろうかと思ったが、もうこれ以上引き伸ばすのは面倒。
きっと気が済むまで聞き続けるのだろうから。

「……手」
「手?」

亜美に言われて初めて視線を下に。そこにはしっかりと繋がれた手。

「ずーっと繋いだままだから。どのタイミングで離すのかなって」
「そうか。ずっと繋いでたのか」
「気付いてなかったんだ。やっぱり」

離れないように、迷子にならないようにとずっと繋いでいた手。でも車に乗ったら
もう離したほうがいいのかな、と思いつつでも相手は何も言わないししない。
亜美としては別に見られても知らない人ばかりだから構わないし温かいし。

「離そうか」
「まだいいんじゃないですか?その、寒いし」
「じゃあ、もう少し繋いでいようか」
「……うん」

何となく恋人同士っぽくていいなと思っていたりした。なんて、恥かしくて言えないけど。
暫し時間を忘れて海を眺める。このまま何も考えないで気持ちもマイナスにならないで
穏やかに居られたらどれほど幸せなんだろう。

「そろそろ戻ろうか」
「あー歩いて戻るの面倒だなぁ。おじさん抱っこ」
「重いから嫌だよ」

甘い雰囲気につい甘えたことを言ってみた自分が馬鹿だった。酷い言い草。
彼らしいといえばらしいかもしれないが、もっと言い方はあるだろう。
ブツブツ文句を言いながら立ち上がって砂を叩く。雅臣も続いて立ち上がる。

「これでも2キロ痩せたんだから」

穏やかな顔からいっきに不機嫌な顔になる亜美。

「……後でね」

そんな彼女の耳元でそっと囁き。軽く頬にキス。

「いやだー!このエロおやじ!犯罪者!ロリコン!へんたーい!」
「あのね、他にも人が居るんだから」
「アホな事はこれくらいにして。帰りますよ」
「はい」

それからまたタクシーを拾って旅館に帰り、部屋に入るなりベッドに寝転んだ。
体育の授業や屋敷の掃除なんかで体力はあるつもりだったけれど。
思いのほか散策に時間をかけてしまったようで、亜美はそのまま深い眠りに就いた。
雅臣がその間何をしていたのか、残念ながら意識が遠のいて分からない。



「これから風呂ですか?大野先生」
「……まあ、そんな所です」
「宜しければご一緒に。先生直ぐに帰ってしまわれたから、まだまだ話したいことがあるんですよ!」
「いや、その、私は特に貴方と話す事はないんですが」
「どうぞどうぞ遠慮なさらずに。いい温泉ですよーここは」

亜美を起こすわけにも行かず、風呂にでも入ろうと部屋から出たのが間違いだった。
途中の廊下でまたしてもあの名前を思い出せない人。学会に居たのだから教授か。それとも。
だめだ、まだ全然思い出せない。断わっても無視されて引っ張られるように風呂へ。
これなら亜美と一緒に寝ていればよかった。


つづく

2009/02/27

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