信頼


「それじゃ私行きますんで。何か買ってくるものあるなら言っといてください」
「あそう?じゃあ酒の肴。何でもいいから」
「はい」

土曜日の朝。前々から友人たちと街へ遊びに行くと聞いていた日。
着々と朝の洗濯や掃除、朝食作りをこなしながら行く準備を整える亜美。
女の子同士だからこそ余計身なりには気を使うとかで余所行きの可愛らしい服と鞄。
玄関まで見送りに行ってドアが閉まるとすぐ後ろに気配。

「叔父さん」
「叔父さん」

振り返るといつの間にか双子たち。

「なに?」
「叔父さんの書庫へ入りたいんだ」
「いいでしょ?汚さないから。お願い」
「別にいいけど。鍵かかってた?」
「うん」
「かかってたよ」
「あれ?おかしいな。後で読もうと思って開けておいたはずなんだけど」

何で鍵がかかってるんだろう?と首を捻る。とりあえず双子と一緒に3階へ。
こんな時亜美が居てくれたら。電話してみようかとも思ったが邪魔したら悪い。
確認してみたが彼らが言うようにやはり鍵がかかっている。

「ドア壊れたのかな」
「叔父さん鍵は?」
「私の部屋の鍵置き場にあるはずだよ」
「じゃあそれで」

もしかしたら無意識のうちに鍵を閉めてしまったのかもしれない。
部屋に戻り様々な鍵を保管してある所へ向かうと何故か倉庫の鍵だけが無くて。
無くしたか?とまた頭を捻る。確かさっきまではあった。はずなのに。

「叔父さんもしかしてボケが」
「恒」
「だって」
「そんなはずはないんだ。さっきまではあったんだよ……さっきまで」
「ゆっくり思い出してみて。そのさっきまでの事を」

慧に言われてゆっくりと思い返してみる。たしか朝起きて着替えて顔を洗って。
亜美が掃除しているのを見て、軽く挨拶をして。
彼女も居ない事だし読書でもしようと倉庫の鍵を取って鍵をあけておいて。
そこに亜美が来て少し話をして。それで部屋に戻り鍵を元の場所に戻して。

「そういえば鍵を戻してる時に亜美が入ってきたな」
「もしかしてあいつ!叔父さん金庫の鍵とか大丈夫?」
「金庫なんて無いよ。それに彼女は関係ない」
「どうして?あいつの家大変なんだろ」
「恒。言いすぎだ。叔父さん、スペアあるんでしょ。それで入るよ」

結局何処にあるか分からずスペアキーで慧たちは倉庫に入った。
鍵は何処へ行ったのか。その他の鍵はちゃんと保管されているのに。
部屋をくまなく探してみても廊下を見てもトイレも一応確認したけど無い。


「不味いな。本当にボケたんだろうか?」

そんなはずは無いと思いながらも疑い始めた所で机の上においてあった携帯がなる。

『もしもし?あの』
「あ。亜美?良かった。聞きたいことがあるんだけど」

電話の相手は亜美。歩きながら話しているようで服のすれる音や車の過ぎる音が。
まだ友人と合流していないのだろうか。何にせよ連絡をくれたのは嬉しい。
家政婦さんに聞けば分かるはずだ。鍵のありか。

『鍵の事ですか?』
「そうなんだ。君何か知ってる?」
『鍵なら私の部屋にありますよ。おじさんたら……ほら、あの時落としたんです』
「あの時?」
『……後ろからいきなり抱きついて来て私に肘打ちされた時ですよ』
「ああ。あの時。そうか」

そういえばそんな事があった。ほんの出来心で忙しさ爆発の亜美を抱きしめたら激痛。
あれは苦しかったと腹をさすった。どうやらその時に鍵を落としたらしい。
彼女も忙しかったのだから仕方ない。こうして連絡してくれたのだし。
何より鍵の場所がわかってよかった。

『……大丈夫、ですか?お腹』
「今はもう大丈夫だよ。でも、次からはもう少し加減してほしいな」
『ごめんなさい』

もしかして謝る為に電話をかけてくれたのだろうか。面と向かっては言えないから。

「私は大丈夫だよ。だから、楽しんでくるといい」
『はい。じゃあ、電車乗るんで』
「うん。またね」

彼女らしいなと苦笑して電話を切る。ふとお揃いのストラップが目に付いた。
雅臣にはスカートを穿いた女の子のクマ。亜美はズボンを穿いている男の子のクマ。
教授が何でそんな可愛らしいもの付けてるんですかと不思議そうに助手に聞かれたけど。
プレゼントでとても気に入っているんだとだけ返した。


「絶対あいつが叔父さんの鍵盗んだんだ」
「恒。根拠もなくそんな事言うな」
「だって。慧、あいつの事信じてるのか」

その頃書庫ではそれぞれが読みたい本を選びソファに座って読んでいた。
恒はまだ亜美が盗んだんじゃないかと疑っているようで不愉快そうに愚痴る。
慧は考えるだけ時間の無駄だと諭すのだが聞いてない様子。

「逆に考えてみろ。ここの鍵盗んでどうするんだ」
「こっそり本を売るとか」
「別にそんな危険をおかしてまで本を盗むことはないだろ。
叔父さんに一言言えば何時だって中に入ることが出来るんだし」
「そうだけど」
「お前こそそんなにあいつを犯罪者にしたいのか?」
「そうじゃないけど。慧かわったな。あいつの事なにが何でも追い出すんじゃなかったの?」

恒は本を閉じて兄を見た。視線は本に向けたままで何も言ってくれない慧。
もしかしてあいつの事を認めているんじゃないだろうなと不安になる。
叔父さんを母と結婚させてアメリカに連れて行くのが目当てなのに。それじゃ困る。

「物事にはタイミングってものがあるんだ。今叔父さんにあいつの事を悪く言っても
逆にこっちが叱られるだけだ。あいつの方が俺たちより信頼があるから」
「そんな。……でも、そうかもな」
「まずは叔父さんの信頼を勝ち取る必要がある。その間だけでもいい子で通せ」
「うん」

よかった、ちゃんと考えてくれてる。恒は安心して再び本に視線を戻す。
ようやく落ち着いた様子の弟をちらりと見て慧もまた本に視線を戻した。
時刻は10時を過ぎた頃。家政婦の居ない屋敷は無人のように静かだ。


「さて。昼飯どうしようかな」
「叔父さん」
「昼飯作るの?」

12時。空腹になって台所へ来たものの冷蔵庫にはすぐ食べられるものが無くて。
料理は苦手じゃないが得意でもなく。これはラーメンでも取るかと思っていたら。
同じくお腹が空いて倉庫から出てきた双子たち。

「いや。何か取ろうと思ってるんだけど」
「俺たちが作るよ」
「料理は得意なんだ」
「そうなの?じゃあ」
「任せて!」

ここぞとばかりに進んで台所に立つ。叔父さんにいい所を見せる時だ。
慧はこういう何気ない事からこつこつと信頼を勝ち取るんだと恒に言った。
それくらいで信頼されるもんだろうかと恒は思ったが兄が言うのだから間違いない。



「亜美。なにぼけっとしてるの」
「え?いや、別に。お腹すいたね」
「ほら行くよ。後ろつっかえてるんだから」
「うん」

今頃屋敷の男たちはちゃんとご飯を食べているだろうか。店屋物かもしれない。
皆で決めて最近出来たというファミレスに入る。休日の昼とあって人は多い。
財布にはちゃんと纏まったお金を入れてきたがやっぱり値段を気にしてしまう。
これも性分か。後の事もあるし出来るだけ安いものを選ぶとしよう。

「やっと座れた。疲れたねー」
「ほんと。さっさとメニュー選んじゃおうか。さーて何にするか」
「ラーメン」
「え?」
「何?亜美」
「ラーメン」
「……わ、わかった」
「即決だね」

食後はまた繁華街に戻り買い物。ここの所ずっと学校と屋敷の往復で話し相手は
由香か双子か先輩か叔父さんくらいのもので。こうして他の友達と話すのは久しぶり。
彼女たちも最近亜美の付き合いが悪い事に気付いてはいるようだったけど。
流石に借金の形になって家政婦してますとはいえず笑ってごまかした。


「じゃあまた来週ね」
「うん。また」
「素敵な彼氏によろしくー」
「……由香だな」

最後の言葉にムカっとしたもののこれでお別れなのは少々物足りない。
時間を制限したのは自分だけど友達と遊ぶのは楽しかった。これが普通だ。
まだまだ遊びたい年頃。でも遊んでばかりはいられない。
もう少し遊ぶという友人たちを追いかけたい思いを断ち切って踵を返す。
途中買い物をしてから坂道をあがりようやく屋敷が見えた。


「お帰り」
「ただいま戻りました」

屋敷に入るとすぐに荷物を冷蔵庫に入れるためキッチンに入る。
調理をした形跡があるから昼食は店屋物ではなかったらしい。
その音を聞きつけたのか雅臣がおりてきた。

「楽しかった?」
「はい。たまにはパーっと遊ぶのもいいですよね。毎回だと財布危なくなっちゃうけど」
「いいんだよ。自由にしてくれて」

冷蔵庫に入れ終えたのを確認してからもう一度後ろから亜美を抱きしめる。
突然で驚いたのかビクっと反応して、また肘打ちを喰らうかと思ったがそれはなくて。
抱きしめる雅臣の手をそっと握った。

「中途半端は駄目ってお母さんに言われてますから」
「……亜美」
「もうすぐ3年生になるし。遊んでばっかりもいられないし。それに弟や妹が」
「そこまで自分を追い詰めなくていいんだ。誰も叱ったりしないよ」

そう言うともう少しだけ強く亜美を抱きしめ、彼女の母の言葉を思い出した。
家の為にあの子は幾つ諦めてきたのだろう、と。きっとこれからも人知れず諦める。
たとえ誰も彼女を叱らなくても家族の中で自分だけが特別だなんて思えないから。

「そだ。酒の肴かって来ましたよ。3つで980円の」
「いいね。それだけあれば暫く買いにいかなくてすむ」
「でしょ。おじさんって意外にお酒飲むからすぐなくなる」

なんだか嫌な会話だ。気が重くなる。亜美は話を変えようと買って来た肴を指差す。
何にしようかと悩みに悩んで決めた。どうせなら自分も食べられるものにしたいし。
文句もなく喜んでいる様子なので安心。向きをかえて雅臣と向かい合う。

「昔は嗜む程度だったんだけど。最近よく飲むな」
「飲んで忘れたいことでもあるんですか?忘れちゃいけない事まですっぽり忘れるくせに」
「私にだって忘れたい事はあるよ。そういうものに限って中々忘れられないけれど。
でも酒を飲むのは注いでくれるくれる人が居るからさ。つい飲みすぎてしまう」
「何時か一緒に飲めるといいですね。あ。お父さんと飲むって手もありますけど」
「はは、いや、私はついででいいんだ」
「駄目ですよ。一緒に飲むって……言わなきゃ。……彼氏なんだし…」
「え?なに?最後の方が上手く聞き取れな」

お互いに向き合っていてこんな近距離で正拳突きは無い。痛くてしゃがみこむ。
酷いよと言いたかったのにクリティカルヒットで腹に拳が入り言葉が出なかった。
亜美は素直な優しい子だけど拳が飛ぶのが早いのが難点か。
しかも何で殴られたのか未だにわからないときた。

「さて。夕飯の準備しよーっと」
「……」
「何時までしゃがんでるんですか」

何時もの癖というか反射的に攻撃してしまった。朝あんなに反省したのに。
足元には何時までも起き上がってこない雅臣。
やりすぎたな、と思いながらもこれから夕食の準備をしたいのに邪魔。

「……骨が折れた」
「もう。またそんな大げさな。骨なんてそう簡単に折れるわけ……」
「いたたた……これは不味い…いたたた」

胸を押さえたまま苦しそうな声を出す。最初は嘘だろうと相手にしなかったけれど。
何時までも立ち上がってこないし痛そうだしで本当に折れたんじゃないかと思って。
慌てて自分もしゃがみこみ雅臣の顔を覗いた。苦しそうな顔。こんなの初めて。

「ごめんなさいっあのっ今すぐ救急車呼びますから!」
「亜美」
「はいっ…え?ちょっ」

携帯を取ろうと立ち上がろうとした亜美の手を掴み引き寄せる雅臣。
何が何だかわからないうちに床に寝かされて彼に組み敷かれている自分が居て。
骨が折れているはずの雅臣は何処か嬉しそうに亜美を見つめている。

「心配してくれてありがとう」
「あの、何ですかこれ」
「驚いた?」

暫く呆然と雅臣の顔を見つめていたが、やっと彼の骨折が嘘だと気付く。
また殴られるだろうな、と雅臣は覚悟を決めていたのだが。亜美は黙って。
じっと見つめたままで。でも、すぐに肩が震えだして目頭には涙が。

「……こわかった…」
「ごめん、その、やりすぎたね」

すぐに大粒の涙になって頬を伝う。雅臣はそっとその涙を手で拭くが追いつかない。
苦しんでいる雅臣の顔を見て甦った記憶。それは亜美が中学生の頃。
学校から帰ったら母が台所で倒れていた。1人だったからパニックになって。
でもこのままじゃいけないと慌てて救急車を呼んだ。
お母さんはもう戻ってこないかもしれない。そんな訳ないのに怖くて涙が出た。

「ごめんなさい……ごめんなさ」

言いかけた唇を雅臣の唇が止める。涙で濡れた頬にはそっと手をのせて。
亜美が落ち着いてきたのを確認して唇を離す。

「もう痛くないよ、大丈夫だから」
「……はい」

安心したのか亜美の手が雅臣を抱きしめる。よかった、と呟きながら。
落ち着いた所で思い出してしまった記憶の事を打ち明けた。
泣いてしまったのは思い出した恐怖と嘘で安心したのとが混じったから、とも。

「そうか。嫌な事を思い出させてしまったね。ごめん」
「こっちこそごめんなさい。次からは顔にします」
「うん……え?顔?」

もうしませんとかじゃなくて?何らかのフォローがあると思ったのに無いし。
せっかく落ち着いたいい雰囲気なのを壊したくないから黙ったけれど。
また何かしたら事とあるごとに顔をボコボコにされる映像が浮かんだ。

「私たち何やってるんでしょうかね。台所で」
「抱き合ってるよ」
「もう。そういう見も蓋もない言い方しなくても」
「……」
「あ。今エロい事考えたろおっさん」



夕方の空。家政婦はまだ帰ってないんだろうかと双子たちが洗濯物を取る。
叔父さんのはまだしもなんであいつの分までと苛立つがここは我慢。
こうして手伝いをこなせばまた叔父さんに信頼されると踏んで。

「ねえ、慧。お腹すいたよ」
「そうだな。もういい時間だな」
「あいつ帰ってきてないみたいだし。また俺たちで夕飯つくれば叔父さん喜ぶよ」
「ああ。あいつのお陰でかなり難易度低い料理でも喜ぶからな。叔父さん」

かわいそうに、と心の中で同時に思った。だがこれはチャンスだ。
ここで美味しいものを作って叔父さんに喜ばれればまた信頼度があがるというもの。
洗濯物を片付けたら何を作るか相談しながら1階へおりてきた。

「……なきゃ…」
「……だよ」

廊下から聞こえるボソボソと会話する声。もしかして帰ってきているのだろうか。
不思議に思いながらキッチンへ向かうと。

「…あ…ぁ…」
「……亜美」
「……あん」

キッチンの床に寝転がって何かやってる2人発見。

「わ……ぁああああああああああああああ!」
「恒落ち着け」
「わ。わああ!ちょっとおおおおおおお!」
「亜美落ち着いて」

恒の絶叫に慌てて起き上がる亜美。彼らが居る事をすっかり忘れていた。
雅臣の後ろに隠れて顔を完熟トマトのように赤らめる。
まだ全裸ではないものの思いっきり感じまくっている顔を見られた。

「お、叔父さんがあいつのスカートに顔突っ込んでっ」
「いちいち言うな。叔父さんたちもこんな所でする事じゃないだろ。ここキッチンだろ」
「ち、違うよ!この人が無理やり押し倒して」
「え。いや、それはそうかもしれないけど亜美だって結構乗り」

パチン!とキッチンに快音が響く。今日はよく亜美に攻撃される。
さっき言ったとおり拳がめり込むんじゃなくて頬を平手で打たれた。
どっちも同じくらい痛いけどとりあえずここは双方落ち着かせなければ。

「とりあえず、夕飯どうするんだ。家政婦」
「え。あ。うん。材料は買って来てるんだけど」
「じゃあすぐ作れよ。俺たちテレビ観てるから」
「慧」
「叔父さんも行こう。ここに居ても暴力ふるわれるだけだと思うし」
「確かに……」

雅臣が落ち着かせようとしたら先に慧が声をかける。
確かに彼の方が混乱している恒を落ち着かせられるか。
ついでに自分も今はここから脱出したほうが良さそうだ。まだ亜美は顔が赤い。
恥ずかしいのはわかるのだが彼女は恥かしがると暴力に出る傾向がある。

「ちょっと!あの双子め……」
「じゃあ頑張ってね。えっと、酒は今日はいいよ」
「はい」
「続きは後でしよう。ね」
「早く行ったほうがいいですよ。私の拳が顔にめり込む前に」
「はい…」

逃げるようにキッチンを出て双子たちの居る部屋へ。

「叔父さんあんな凶暴なのやめなよ。何時か死ぬよ。相手なら母さんがいるし」
「叔父さんにはもっと大人の落ち着いた相手がいい」
「まあまあ。そう怖い顔しないで」

ソファにすわるなり両サイドをがっちり囲まれてあいつはやめておけと言われる。
自分の母親なら気遣えるし暴力はふるわないし何より夜の相手もかなりいけるとか。
子どもとは思えぬセールストークで勧めてくる。でも雅臣は気にする様子はない。

「慧、これが信頼ってやつなの?それとも洗脳?飼いならし?」
「半々だな」
「じゃあ俺たちも手っ取り早く洗脳しようよ。えっと…強い刺激とか…電気ショック?」
「何でもいいけど怖いよ君たち」


その夜。亜美の部屋の前。

「それで?双子が脳に強い刺激を与えておじさんを殺そうとしてるから入れてくれって?」
「うん。何だか物騒な装置を作り始めてね。このままだと本当に危ないんだ」
「もう少しマシな理由言えないんですか?もう。……どうぞ」
「ありがとう」



おわり

2009/01/26
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