沈丁花 第4章 



雨宿り ...47



「やっぱり天気予報の言うとおりに傘持っていけばよかった…」
 外は晴れていたしちょっとお出かけするだけだから大丈夫だろう。
なんて安易に思ったついさっきの自分を殴りたい。
明るくて雲がちょっとあるくらいと思ってもいきなり降ることもある。
ここの所ずっとカンカン照りの晴れが続いていて雨の気配なんて全くなかったのに。
 とにかく濡れるばかりだから雨宿りできる先を探して土砂降りの雨の中走る春花。
 やっと見つけた軒先に入り一息つく。
 濡れたカバンには財布とハンカチと携帯。誰かに迎えに来てもらおう。

「……喜雨やね」
「きう?」
 その前にハンカチで顔を拭いていたら側に居た先客がポツリと呟いた。さも知り合いみたいに。
だけど全然知らない男の人。歳は彼氏の父親くらいだろうか。背が高くて線が細くてとても穏やかな声。
初対面のしかも男性なのにその柔らかい雰囲気のせいなのだろうか、自然と恐怖心は抱かなかった。
 普段着ぽく和服を着ているなんて彼氏の父親くらいしか見たことがないし。
「久々にええ俳句ができそうや」
「……」
「そんな濡れてしもて。夏の風邪はタチが悪いで一緒に来なさい」
「…え?え。あ。い、いえ。大丈夫です連絡したら迎えが来るので」
「うちの坊が来よった。ほな、行きましょ」
「え?え?あの、坊って?あの!」
 おいでおいでと手まねきして、でも怖くて近寄れないでいると
「あれ?春花さん?何やってんだ?」
「坊、お前さんその傘この子にやって走って帰り」
「ええ!?…ひ、ひど!」
「え?え?え?」
 見覚えのあるじゃがいも君が傘を持って走ってきた。だけどあっさりその1本を取られて
半泣きで走って帰る。春花は何が起こったのかわからないまま傘を渡されてほないきましょか、
と実にのほほんとした口調の男性に促され歩く。
 ここまできてなんとなくこの人が誰かわかった気がする。けど。
「あ!きたきた!親父酷いよ!すげー濡れたよ俺風邪ひいたらどーすんだ」
「お前さんはアホやで風邪らひかん。それよりお嬢ちゃん風呂いれたりなさい」
「ひ、ひど!……でも、春花さん濡れてるしな。こっちだよ」
「……は、はい…」
 やっぱり辿り着いたのは老舗和菓子店花の夜。突然の雨にふられて中に避難してきた
お客さんが喫茶ルームでまったりとお菓子とお茶を飲んでいる。
 春花も冷えたからお茶をもらおうとしたらそれよりも風呂を進められた。言うだけ言って
男の人は奥へと引っ込む。タオルを首に巻いた宗太に案内されてお店の裏へ。
 この前連れてきてもらった茶室も見える。

「着替えとか適当に置いとくから」
「て、てきとうって」
「兄ちゃん居ないんだごめんな」
「いえ。…こちらこそ。またご迷惑をおかけして」
「ぜーんぜん。うちそういうの全然気にしないから。びっくりしたろ?親父」
「やっぱりお父さんなんだ」
「そうそう。ま、気にしないで温まってて」
 あまりに先々歩いて行くものだからまだきちんと正面から顔を見たわけではないけれど、
ちらっと最初に見えた横顔がなんとなく聖治に似ていた。
 きっともっと若い頃はたいそうな美形だったのだろう。

 そうか聖治さんはお父さん似なのか。
 勝手に整形疑惑を浮上させた事を心のなかで謝りお風呂を借りる。

 店構えも家も立派だしさぞかし広い風呂なんだろうと期待した通りの大きなお風呂。
一瞬温泉にきたのかと思うくらい。篠乃塚家のお風呂もここと同じくらい立派だから。
自分の部屋の風呂と比べるまでもないが
 皆さん金持ちだなあ、なんて思いながら体を洗ってお風呂に入った。

「あんた。ちょっと待って」
 温まって風呂からあがると誰も居ないので廊下に出てみる。
 用意してくれた服はちょっとサイズが小さかったがなんとかなりそう。
 きっと皆仕事中なんだろうと出口を探してコソコソと歩いていると。
「え?…私ですか」
「そう。あんたや」
 見知らぬ女の子に呼び止められた。女子大生くらいだろうか?
 初対面のはずなのにどうしてか彼女から向けられる視線に殺意を感じる。
 聖治と一緒にいると彼のファンらしい女子から向けられるのとそっくりな。
「なんですか」
「それうちの服なんやけど」
「あ。そうなんですか。すいません、お借りして」
「……宗太が渡したんやろ」
「そう、なんですかね。お風呂から出たら置いてあったので」
「お、おふろ!?…あんたうちの宗太と何するつもり!?」
「え?何もしませんよ?お礼はしたいですけど、お仕事中」
「お礼!?何のお礼!?」
「えええ」
 どうしよう話せば話すほどヒートアップしていく。
「あすちゃん。その人は宗太とは関係無いから大丈夫だから」
「あ。お義兄さん!」
「…おにいさん」
 殴り倒されそうな勢いで迫られてどうしようか迷っていると後ろから割って入る声。
どうにか3歩ほど後ろに下がってくれたがそれでもまだ春花を疑っているようで視線が怖い。
「彼女は俺の友達だよ。きちんと彼氏も居る」
「……彼氏なあ」
「信じてない顔された…」
「とにかく、そんな怖い顔をしないであげてよ。一緒にお茶でもどう?」
「要らん」
 女の子はまだ不満そうな顔をしてプイっと顔を背け去っていった。
 呆然とそれを見ている春花と苦笑している聖治。
「ごめんね、彼女は宗太の…押しかけ女房ってやつだよ」
「結婚してたんですね」
「正式にはまだだけど、したようなもんだよ。あれは」
「はあ」
 こっちへおいでと呼ばれて広い部屋へ通される。お茶でも飲んでいってといったん席を離れる聖治。
お風呂に入る前は居なかったから、宗太が呼んだのだろうか。
 でもそのおかげであの子の誤解はとけたようだし、よかった。

「あの子はあすみちゃん。宗太が修行してた和菓子屋の娘さんだったんだけど。
どうしても宗太に付いくって聞かなくて親の反対を押し切ってここに住んでる」
「駆け落ちですか?若いのに凄いですね」
「宗太としては一人前になってから彼女を迎えに行く予定だったんだけどね。まあ若いからこそ
あれだけ暴走できるのかも」
 戻ってきた聖治がお茶とお菓子をテーブルに置いてどうぞと微笑む。どれから食べようか迷いながら
一口食べて幸せに浸り。あの女の子についての説明を受ける。宗太の嫁、もとい婚約者。
「きっとかかあ天下でしょうね」
「だろうね。でも、そのほうが宗太にはいいと思うよ」
「ははは」
「でもなんで家に?菓子を買いにきたの?」
「いえ。雨宿りしてたら聖治さんのお父さんが隣にいて一緒に来なさいって」
「そうなんだ。あの人びっくりしたでしょう?」
「え?」
「考えてるようで考えてない。覚えてるようで覚えてない、わかってるようでわかってない。
そういう人なんだよね。職人としての腕は確かなんだけど。残念っていうのか不安っていうか…」
「え?でも…じゃあ。私が誰かとか」
「分かってないと思うよ?だって俺は説明してないもん」
 前にお邪魔したことがあるし、それからも一度来たし。直接話はしてないけれど
宗太とは話をしたからわかってると思ってた。だから声をかけてきたしお風呂を貸してくれたのだと。
 でももし違ったら?何で他人にこんなに親切にしてくれたんだろう?
「失礼なこと言わんといて」
「あ。お父さん」
 襖を開けて入ってきたのは違う着物に着替えた父。何故か手には筆を持って。
「そう?じゃあ彼女は誰ですか?」
「……」
 説明出来る?と聖治にからかい口調で言われて、不服そうに目を細め春花を見つめる。
 ああ、やっぱりこうして正面から親子を見比べると似てる。
「そらあれやろ。あんたのコレやろ」
「間違ってるし小指立てるなよ恥ずかしい人だな」
「私は、三瀬春花ともうします。聖治さんとはお友達で仲良くしてもらってます」
「やから宗太からちゃんと聞いてますて。
あんたのコレがこうなってお嬢ちゃんのアレとこうなるお友達やろ?」
 綺麗な顔をして一切表情を変えずに真顔で指を動かしなにやら意味深なジェスチャーを行う父。
 でも春花は分からなくて頭上にはてなマークが出て。
「ごめん見ないで春花。この恥ずかしい大人を見ないでお願い」
 聖治は慌てて父と春花の間に入る。
「今の指はどういう意味が」
「無いよ意味なんて。宗太の言うこと真に受けすぎだ、友達は友達だから」
「なんでもよろしいわ。好きに休んでいきなさい。所でお母さんおらんのやけど
あんた知らんか?中々よろしい俳句浮かんだのに頭から消えてしまう……」
「本当に母さんが居ないと駄目だな。春花待っててね」
「はい」
 2人の言ってることがよくわからないけれど仲が良さそうで何より。
自分は父親と話すことなんて殆どないから。一方的に喋られてそれに対して「はい」と返事するしか
出来ないから。だから正面からぶつかり合える彼氏の家も羨ましいと内心思う。

「雨やんだみたいね」
「そうですね」
 ふすまの間から見える庭。なんとなしに覗いてみればすっかり青空に戻り。
大きく背伸びなんてしてたら和服の女性がニコニコと笑顔で近づいてくる。彼女は聞くまでもなく
この家の母親だろう。顔が宗太と瓜二つ。小柄で全体的にまるっとした愛嬌の塊のような女性。
「お父さん見ませんでした?店にも出ていないし厨房にも居なくって」
「あっちに」
「ありがとう。ゆっくりしていってね」
 にこにこと笑って去っていった。聖治から聞いてこの家の人達は大らかだとは思っていたけれど。
ここまでマイペースだと逆にちょっと心配になるのは考え過ぎか。
「部屋まで送るよ。それとも清十郎のところがいいかな」
 1人部屋に戻り菓子を堪能していると疲れた顔で戻ってくる聖治。
彼がこんなにも人の世話を焼いて困った顔をするのは初めて見る。
「あ。その前に服どうしましょう。私のは行方不明だしこれはあすみさんのだし」
「いいさ。今度返してくれたら。その頃には君の服も乾いてるだろうしね」
「何かお礼をしないと。こんなに沢山お菓子を食べさせてもらって。
本当ならお代を支払わないといけないのに。あ。でも今は持ち合わせが」
「いいよ。この家の人達見たでしょう?金を出せなんていう人いないよ」
「だからってケーキとか焼くのは喧嘩売ってますよね」
「両親ともケーキ大好きだよ?誕生日もクリスマスも興味ないくせに託けて買ってくるし」
「え。そうなんですか?じゃあ、今度焼いてきます」
「気にしないでいいよ?でも、ありがとう。でもあんまり宗太には近寄らないほうがいいかもね」
「ですね」
 ヘタをしたら刺される気がする。聖治と一緒に街を歩いても思うことだが。見た目は似てなくても
一緒にいると常にハラハラするというのは兄弟似ている。
 店を出る時に母親がわざわざ土産まで持たせてくれて、断ることも出来ず。受け取ったら
「息子をお願いします」と言われた。彼女も父親同様宗太からかなり間違ったオトモダチの説明を
 鵜呑みにしている模様。

「普通に友達だって言ってるのに誰も信じないとか。俺の素行のせいなんだけど、でも酷いよね?」
「ふふふ」
「春花」
「だって。…ふふ。…いいじゃないですか、仲良しで」
 今日はそのまま帰ろうと思ったけれどお土産ももらったことだし彼氏の元へ行こうと決めた。
車で送ると言われて駐車場まで歩く。
 水たまりを避けながら、先ほどのひどい勘違いを笑いながら。
「仲良しかな?…まあ、春花が気にしないならいいんだけど」
「はい。しません」
「そんなあっさり言われるとね」
「だって友達は友達ですから。嘘は言ってないですしね」
「春花はまっすぐだな。少しは意識したり照れてくれるとちょっと喜ぶんだけど」
「照れる?」
「ナンデモナイですよ。はい、乗ってお嬢さん。彼氏の元へ送りますから」
 送ってもらってお礼を言って、彼氏のいるビルへ入る。ドアをノックしたら何時もなら
幸があけてくれるけれど意外にも彼氏が開けてくれた。こんなの初めてかもしれない。
「なんだ来たのか」
「もしかして出かけるところでした?」
「…まあな」
 やっぱりそういうことか。タイミングが悪かったな。
「……」
「入れよ。暑いだろ」
「でも」
「パチンコでもしようと思ってただけだ。お前が来たら行く必要ねえだろ」
「…あ。これ」
「あ?菓子か。猪に渡しとけ」
 奥にいる猪田にお菓子を渡して簡単な事情説明をしておく。彼氏にも話をしようとは思うけれど、
下手な事を言うと怒るので。まずは猪田に話をしてNGワードがないかだけ確認したかった。
 それくらいなら大丈夫よとOKが出たので席に戻りかいつまんで説明。
「…で。なんですけど」
「あ?なんだ」
「コレがこうなって。私のアレとこうなるってどういう意味ですか?」
「……」
「あれ?清十郎さん?顔怖い」



続く



2015-05-28

....初稿2008年 / 加筆修正2015年7月.....


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