沈丁花 第6章 



同棲の行方...90




「やっぱり雨ふってきましたね。最近、ずっといい天気が続いてたのに」
「そうねぇ。洗濯物部屋干しにしておいてよかったわ」
 朝から曇りで降るかふらないか怪しい空模様だった。天気予報は降水確率50%。
春花はお店の窓から外を眺め、一緒に店番をしていた猪田に声をかける。ちょうど客も切れて
店内の整理や新しく入ってきた商品などを並べるのにはちょうどよいタイミング。ただ、雨がふって
 ちょっとだけ気分が憂鬱。雨の日が嫌いというわけでもないけれど。
「そうだ、マリーさん。セールの準備、大丈夫そうですか?私、授業はもう殆どないので出れますよ」
「あらほんと?助かるわ。なんだかんだ言って順調に来ちゃったものね。最初は若の趣味だったのに」
「そうでしたね。私が雇ってもらった時なんか、何をするかさえ決まってなかったのに」
 アテもなく都会に出てきて、せっかく手に入れた職を失って絶望していた時だったから、
高時給に釣られてつい乗ってしまったけれど。つくづく、今までの人生で最大の冒険をしたと思う。
 それももう、自分の中では笑い話になっている。かといって、問題が全て解決した訳でもない。
「そうそう。若ったらその時の感情だけでアテもなく家を出ちゃて、適当に思いついた事を仕事にして。
それでこうしてちゃんと稼いでるんだもの。やっぱりあの親父さんの息子ね。強運というか勝負強いというか」
「マリーさんはどう思います?やっぱり、清十郎さんは家に戻るべき?お父様の跡を、継ぐべき?」
「それは、若が決めることで私がとやかく言うのは憚られるわね」
「そう、ですか。そうですよね。私も、とやかく言う事は出来ません。言ったって、決めるのはあの人」
 彼から家の存続についての話を聞いて、今まで以上にその話題を出さないようにしている。篠乃塚家と
関係ない自分が話し合う意味はないし。相談に乗る、ことも難しい。どうせ何を言ったってお前は自分の
 就職を優先しろと言ってくれるだけだろうから。ただ、春花は、周囲の人間と同じように待っているだけだ。
「そうだ。はるかちゃん、お仕事はどう?決まりそう?」
「それが、全滅しちゃいまして」
「あらま」
「やっぱり年齢なんでしょうか。この歳じゃ、やっぱり、イチから育てるのは難しいって判断かも」
「若者を求めているのなら、それは、仕方がない。でもきっと貴方を待っているお店もあるわ」
「今、バイトさせてもらっているお店。社員になって働かないかって言ってくれているんです。
息子さんは海外へ留学するようですし、それなら、自分と彼を比較せずに、済むかもしれない」
「その息子さんはかなり出来の良いパティシエさんなのね」
「ええ。とても。クラスで一番だと思います。だからこそ、一緒だと自分が落ち込むかなって。
思っていたんですけど」
 その留学も彼が今まで何度となくコンテスト入選をして、向こうからの招待で行くらしい。
才能があるって、若さがあるって、情熱があるって、本当に素敵。全てが輝いて見える。
 そしてその分、自分の手にある沢山の不採用通知を見てがっかりする。これが、現実なんだと。
「良いんじゃない。場所もそう遠くはないんだし、バイトを通して貴方を気に入ってくれたってことだし」
「はい。縁があってよかった。皆さんともそうだし、洋菓子店だってそう。お陰で帰らなくてすみそう」
「あ。就職の話はご両親にはしたの?」
「いいえ。決まってから、完全に独立を果たしてから知らせるつもりです」
「ゆっくりと3人で話をする機会があればいいけどね」
「顔を合わせたって何も変わりませんよ。むしろ、私を引っ張って連れて帰ろうとするかもしれない。
今の私を見て、生活を見て、両親は心底がっかりするでしょう。私は何一つ、親の望むことをしなかった。
できなかった。それが怖くて、怒られたくなくて、不安で。……今でも出来ることなら、逃げてしまいたい」
 極道、チンピラ、マフィア、色んな危険な人との出会いを繰り返しながらも親が怖くて仕方ない。
就職の電話をするのがコワイ、彼氏との同棲も言ってないし、その彼氏が極道だとももちろん言ってない。
 何も言えてない、彼らの監視がない都会だからこその勝ち得たいっときの、限定された、自由。
「ここは逃げては駄目よはるかちゃん。隠しても、逃げても、一生貴方を苦しめる」
「マリーさん」
「それだったら絶縁覚悟で自分の腹の中全部吐き出してしまいなさいな。
それで家を放り出されても、貴方を迎える人はここに沢山居るもの」
「……、ありがとうございます」
 ちょっと目が潤む春花を、猪田は優しく頭をなでてくれた。本当に、上京して良かった。
商品の整理を終えて、お昼休憩を取るべくお店をCLOSEDにする。いつもなら幸に交代するのだが、
彼は朝からずっと若のお供で居ない。最近は何かとお供に出されて幸と会えていない気がする。
部屋にも戻ってくるのは遅いし、もしかしたら家に帰る準備なのだろうかと勘ぐる日々。
 猪田いわく、幸も凄く春花を恋しがっているそうだ。今度、お昼を一緒に食べたいところ。
「じゃあ、私お昼の準備するから」
「私も手伝います」
「いいのよ。座ってて。すぐできちゃうから」
「じゃあ、ちょっとコンビニ行ってきてもいいですか?甘いもの食べたくなっちゃって」
「あら、それならストック……は、ないわね。最近、はるかちゃん来てなかったから」
「オススメのコンビニスイーツ買ってきますね!」
「楽しみにしてるわ。雨だから、気をつけていってね」
 何時も利用するコンビニはすぐそこだし、色々持って雨で濡れたら嫌なのでお財布だけ持って建物を
出る春花。どんなスイーツを買っていこうか、ついでにストックのお菓子も買っていこうと思いつつ。
のんびりと雨の街を歩く。受けたお店は全滅だったけれど、どこも都会の一等地にあるお店だったり、
老舗だったりとハードル高め。生ぬるい優しい世界に居る自分を鍛えるためとあえて挑んだ結果だから、
どこかでそんな気はしていた。馬宮のお店で雇ってもらえるアテもあるし、だから、結果を彼氏に報告して
 彼の胸の中で涙ぐむくらいで済んだ。
「ロールケーキに新種類が出てたとは。2使っていってマリーさんとシェアしよう」
 田舎に帰る予定は未定。いつか独立して小さなお店を出すという夢もまだ捨てていない。
辛いことも多いけれど、不安も山盛りあるけれど、自分はもうひとりじゃないと思っているから。


「止めましょう、こんな事はしちゃいけない」
「もう決めたことだ。邪魔をしないでくれ」
「いや、もっとやり方はあるはずだ。あの時だって、貴也さん後悔してたじゃないですか。
また同じことを繰り返そうっていうんですか?止めてください。お願いします、自分が話をします。
きちんと聞いてもらえるまで、死ぬ気でしますから、どうか、考え直してください!」
 コンビニで買い物を終えて、ホクホク顔で出てきて。少し歩いた先。何やら言い争う声が聞こえてきた。
聞き覚えのある声だけど、まるで喧嘩?でもしているのだろうか何時もとちょっと雰囲気が違う。
それでも気にせず近づいていく春花。雨はまだ降り止まず、視界はあまりよろしくはないが、
 あんなに目立つ容姿の彼らを今更見間違うことはない。
「お前が死んだって何も変わりはしないんだ。いいから、黙って帰れ」
「貴也さん!お願いだ!自分は貴方についてくと決めてるんだ、その貴方がそんな汚え事」
「無理に来なくていいと言ってる。お前も兄さんの部下の方がいいだろう」
「そんな事はないですよ、頼みます!考え直してください!」
 真剣な表情で訴えかける小田、とそれを無表情で聞き流す貴也。側には彼らの車。
 これから何処かへ行く予定?でも、この辺にあるのは今春花が出てきた事務所くらいだが。
「どうかしました?清十郎さん、今、居ませんけど」
 また何か彼らの世界で問題が発生したのだろうかと不安になって春花は声をかける。
 連日彼氏の帰りが遅いのも、もしかしてその問題のせいなんじゃないだろうか。
「お嬢さん、いや、何でもないんです。どうぞ、中へ」
 春花を見て明らかに具合が悪そうな表情をする小田。貴也は少し安堵したような?顔。
「良いところへ」
 そしてこちらに1歩踏み込んだ所で、それを遮るように小田が立つ。
「お嬢さん、何でもないんですよ、だから早く事務所へ行ってもらえますか。これは、こっちの問題なんで」
「は、はい。……で、でも。どうし」
 て、と言い終わる前に。銃弾の放たれる音がして。それは春花の目の前でして。え?と思っている間に
小田の身体から赤い血が流れ、雨の水と混ざって地面を這っていく。ガクっと膝をつきながらも何とかこらえ、
彼は「逃げろ」と言っている。が、すぐ地面に倒れた。こんな光景を、過去に見たことがある。けど。
 遮るものを失った時見えたのは。拳銃を握りしめる、貴也。
「だから、帰れと言ったろ。馬鹿な奴だなお前も」
「……」
「どうしました?怖くないんですか?それとも、こんなものはもう慣れてしまいましたか?」
 その銃口はゆっくりと春花に向けられていた。
「救急車を呼ばせてください。呼ばせてくれたら、私は大人しく、あなたに従います」
「……、どうぞ。お好きに」
 慣れてなんかない、ただ、あまりに唐突すぎて。脳がついていけないだけ。だから表情を変えず
声も出さずに居るが、ガクガクと足は震えている。手も震える。でも、今ここでその機会を失ったら
小田の命が危ない。春花は荷物をその辺に投げ捨てて、急いで電話をかける。見張られているから、
 余計なことは言わないで。とにかく、急いで。


「ただいま」
「若」
「どうしたそんな妙なツラして。雨降ってきやがったな、濡れちまった。シャワー浴びるわ」
「はるかちゃんが帰ってこないんです、コンビニに買い物に行ったきり」
「は?携帯は?」
「持っていってないんです。たぶん、近所だから」
「……、マジ、か。ま、まあ。どうせ甘いモンで迷ってるだけだろ。アイツのことだし」
「そうでしょうか。そう、だと、良いんですけど。なんだか不安で」
「変な事言うな。おい、幸。春花を探すぞ。お前はここで、帰ってるかもしれないから待ってろ」


 

続く



2018-01-30

........


inserted by FC2 system