沈丁花 第6章 



一歩先へ...82





「……姉ちゃん?」
 不思議そうな顔で見つめ返してくる幸。春花が唯一バイトとして事務所に来る日を待っていて、
何時も玄関口で待っているのだが、今日もやってきた姉ちゃんはちょっと変。
 じーっと幸の顔を見つめたまま動かない。コンニチワすら言ってくれない。
なんだろう?
 もしかして変なのは自分なのだろうかと幸は自分の体を見てみるがよくわからない。
「幸さん」
「うん?」
 やっと話しかけてくれて嬉しいけれど。春花は真面目な顔で幸の前まで来て。
「オテ」
 サッと手を出してそう言うので本能?だろうか説明がなくても反射的に幸もそれをオテで返す。
 オテが何かは彼女と以前に借りてみた映画「わんわん愛情物語」で知っているつもり。
「……」
 あってる?これであってる?間違ってない?相変わらず無言なので不安そうに見つめる幸。
「1回まわってワン」
「……わんっ」
 またしても姉ちゃんからの指示がでたので言われるままに1回クルッと回ってワンと言ったら
彼女は驚いた顔をしている。命じたのは彼女自身なのに?
 ここに来てからの彼女の行動を不思議には思いながらもただ大人しく言葉を待つ幸。
「すごい。…す、凄い…罪悪感。ごめんなさい、ちょっとその好奇心でやってしまった」
「好奇心?」
「幸さん。聞いても良い?」
「わん」
「い、いえ。あの。もういい。もういいから、ね?普通に言って」
 ここじゃなんだからと春花に言われて、階段を上がり事務所を抜けて屋上へ出た。
 何時もと違う春花の様子に戸惑いながらも幸は大人なしくその後ろをついて歩いて行く。
「……」
「幸さんは今の生活、楽しい?」
「ふつう」
「じゃあ、辛いわけでもないんですよね」
「辛い?」
「会う度に貴方はここじゃないほうが幸せだって言う人が居て。
私はそんな事ないって思ってたけど。でも、貴方の気持ちを確認してないなって。
その上自分のことで精一杯で最近は周りのことを見る余裕もなかったから」
「……」
「もし、ね。ここじゃない方が楽に行きていけるなら、それもいいかなって。
私も地元で生きていくのは辛かったからここに逃げてきた。それで幸せになった」
 もしかしたら気づいてないだけで教えてあげたら新しい生活を幸は望むかもしれない。
まだ若い彼には沢山の選択肢があるし、運転手だけど根っから極道に染まっている訳でもない。
人としてまっすぐに育てることは今からだってできるし、逆に昔の道へ戻ることも出来る。
あの人だってそれを止めたりはしないだろう。春花としてはそれは嫌だけど。
怜が言うように、自分はいつの間にか何でもいうことを聞く幸が可愛かっただけなのかも。

 彼女の言葉が図星なんてそんなのは悔しいから、だから私は彼ときちんと話をする。

「俺、…悪い、子?」
「とってもいい子だから、何時までも私が独占するのは良くないんです」
「……」
「幸さんは若いんだしもっと色々とチャレンジするのもいいかもですね」
「……」
「いきなり沢山の事を言ってもわからないですよね。私も思いつくままに喋って。
あんまりまとまってなくって。混乱させちゃったらごめんなさい」
 やっぱり話をまとめてから言うべきだったかな。彼には難しかったかも。
 幸は神妙な顔になり黙ってしまった。そして。
「要らないなら、…消える、けど」
「そ、そんな極端な話はしてないですからね!怖いから!消えるって!」
「独占…違う。……足りない」
「幸さん?」
「…側に居るには、どう、したらいい」
「……」
「ずっといるには。……どうしたら」
 それは春花に聞いているのか、自分に問いかけているのか。幸は俯いてブツブツ言っている。
どうやらこの場所が嫌だとか、自由な世界へ行きたいとか、とにかく物騒な事がしたいとか。
そんな気持ちは今の幸にはなさそうだ。このままここで彼らと共に生きる事に疑問は持っていない様子。
 春花としては極道にどっぷりとは浸かってほしくはないけれど。遠く離れてしまうよりは、いい。
「幸さん。…私と居て、楽しい?幸せ?」
「うん」
「私も楽しい。そうだ、この前焼いてくれたクッキーを越える味を編み出しましょ」
「うん。あ。わん」
 幸がやっとニッコリと微笑んでくれたのは、春花が笑ったからだろうか。
本当は幸ならそう答えてくれるだろうと春花の中であったのだが、きちんと気持ちを
 確認して安心した。怜が聞いたらやっぱりねと鼻で笑いそうだけど。
「だからもうそれはいいって。今日もお仕事がんばりましょう」
「……姉ちゃんは、…どう?」
「え?何が?」
「今、幸せなら。これからも、…幸せ?」
「……、そうだったらいいなって思ってます」
 準備をして2人でダフネに向かい、今日もアルバイトにせいをだす。何も分からずに上京して
まさかセクシーな下着屋さんで働くとは思わなかったけれど、いつの間にかそれも馴染んで。
 かつ、洋菓子店と掛け持ちもしているのだから人は変わるものだ。

「今日はお前が来る日だったか」
「はい」
「飯食ってくか?」
 お昼休憩タイム。椅子に座って持ってきたお茶を飲んでいたら社長が登場。
 朝から姿が見えなかったからもしかしたら昨日から出掛けていたのかもしれない。
 幸と話すことだけを第一目標にしていたから彼にまで気が回らなかった。
「若。ここは、二人きりでランチのほうが良いんじゃないですか?」
「どうするお前」
 側に居た猪田に振られる。その気持は嬉しいけれど。
「忙しそうですから私は別に」
「何にするって聞いてんだ、飯」
「え。行くの決定ですか?」
「嫌なのか?」
「忙しいんじゃ」
「忙しかったらここに居ねえさ。で。どうする?何が良い」
 どことなく嬉しそうな顔をするから、遠慮するのも悪い気がして。
 それに黒蜂の人たちは近いうちに帰っていくというし。
 だったらそこまで気をつけることもないのかな、と勝手に思ってみたりする。
「じゃあパスタ系で」
「おし。じゃあ、ラーメンだな」
「麺違いです」
「俺がンな小娘の行くような店行ったら迷惑かけんだろうが」
「じゃあ聞かないでください」
「お前もそこは考えて言えよ」
「…すいませんでした」
 何で聞かれて答えただけなのに謝ってるの。でも、確かにそうだ。
 こんな見るからに極道さんとオシャレなパスタのお店とか無理すぎる。
 幸だったら自然にはいっていけるのにな。彼でなくても貴也とか小田とか、
 聖治なんてそれこそオシャレなお店がお似合いだろう。

 うちの彼氏さんは……いや、そこは深く考えちゃ駄目だ。考えちゃ。

「あん?何だよその諦めたようなツラは」
「諦めますよ。色々と、他の方に迷惑だから」
「……」
「それでも後悔しないくらい大事にしてくれないと困りますからね?……なんて」
「おう」
 ちょっと照れたような顔をしながら春花を連れて事務所を出た。
 それを笑いながら見送る猪田。後から幸も事務所に入る。
「姉ちゃんは」
「お昼に出て行っちゃった」
「……」
「私達もお昼にしましょ、手伝ってちょうだい」
「うん」


続く



2016-04-08

........


inserted by FC2 system