沈丁花 第6章 



一歩先へ...81





 愚鈍な自分をかえることは今更出来ない。これからもきっと私は焦りと失敗を繰り返す。
だけど、これだけは絶対に諦めないと決めたことが2つある。ひとつはパティシエになる夢。
それともうひとつは、篠乃塚清十郎との恋を自分から諦めようとすること。

指定された場所への行き方は知っている。人気デートスポットでもなく、美味しいケーキのお店でもない
春花にとってはまったく縁もゆかりもない古い港。それも夜なんて人気もなくて不気味すぎる。
 こういう場所はよく映画なんかで闇取引きとか犯罪の相談などで使われているのを見るくらいだったが。
「実際来るとやっぱり怖いな」
 カバンひとつ持って1人そんな物騒な所へやってきた春花。こんな場所、昼間だって怖くて無理だ。
「本当に来たか…」
「はい。来ました」
 足早に指名された番号の書かれた倉庫を発見して近づいたら人が1人立っていて。
近づいていくとそれはこの場をセッティングしてくれた黒蜂の男だった。安堵はできないけれど、
でもやっぱりこんな所にひとりきりで居るよりはまだ心は落ち着く。
「見た目によらず肝がすわってる」
「ええ。これでも普通の人よりは場慣れしてるつもりです」
「……よろしい。では、中へ。一応確認しますが、このことは」
「誰にも言っていません」
 一度話をつけてくると走りだしておもいっきり怒られたから、今回は内緒で来た。
 倉庫の中は薄暗く、ただ一箇所だけ灯りが灯っていた。男の背中を追いかけて
中へ中へと進んでいく春花。カバンをギュッと握りしめて。でも、逃げる気はない。
極道の世界で争いはつきものだろうけど、これ以上自分のせいで問題がおきないように、
 ここできちんと話をするつもりだ。
「この中です」
「はい」
「……もし、中に怜でなく手下が潜んでいたらどうします?」
「私に何かあれば貴方たちの命は無い」
「でしょうね。さ、どうぞ」
 試すような言葉に心臓がドクンとひときわ跳ね上がったが何とか持ちこたえ。
もう既に古びて使われていない事務所跡のドアをあける。
 この中に今春花はきちんと話をしてケジメを付けたいと思っている人が居る。
多分、相手だって話をしたいはずだから。

「いらっしゃい」
「こんばんは」
 ドアを開けて中に入ると男はドアを閉めて部屋には入ってこなかった。
古臭い応接セットにすわっているのは長井、ではなくて怜という人。
 どうぞ、と言われて春花もそのソファの反対側に向かい合うように座った。
「この前は邪魔が入って最悪だったわね」
「……怪我は?」
「無し。そっちは若君が怪我したらしいじゃない、でもね、ふっかけてきたのは向こうよ」
「……」
「そんな事はどうでもいいって顔ね。ま、私もいいんだわ。本当はね」
 そう言って怜はポケットからナイフと拳銃を取り出し目の前のテーブルに置いた。
「……」
「はらわって話をするんでしょ。こっちも手ぶらだってことこれで分かったでしょ」
 確かに彼女には何時も命の危険を感じてきて、今もポケットから武器を取り出して
危害を加えるんじゃないかと思ったりもしたけれど。こう目の前に人を傷つける武器を
 置かれても怖いというか、銃をこんな間近で見ることなんて今までなかった。
「国へかえるんですよね」
「ええ。ボスが人探しを諦めちゃったから。スカっとするでしょ?面倒なのが消えて」
「そうですね。貴方は私を虐めるし、貴方のボスは私の恋人を奪おうとする」
「あら。はっきり言う」
「腹を割って話すんでしょ?」
「ええ。そうね」
 クスクスと笑っている怜だが春花は表情が硬いまま。そんな余裕なんてない。
怜には散々怖い思いをさせられたし、脅されたし、貶められてひどい目にもあったのだから。
 だけどその延長にダフネの皆が居るのだから、複雑な相手には違いない。
「幸さんを連れて帰れなくて残念ですね」
「……そう、それだけが唯一の心残り。彼は私達と一緒に居るべきなのに。
あんな生ぬるい場所でくすぶっているよりももっとより良い環境が用意できるのに」
「それはキケンな場所なんでしょ?」
「でも彼を心から満足させられる。今のあの可哀想な状況から救える」
「何度言われても私には彼が可哀想には思えません」
 お菓子を一緒に作って、笑い合って、危ないことも極力避ける。
 言葉も前よりはずっと多く喋るようになったし、表情も明るい。
 そんな彼が可哀想になんて思えない。
「それは貴方の前では従順ないい子だからでしょ?何でも言うことを聞く犬。
でも彼は野生の中に返してあげるほうがよっぽど幸せだと思うわ」
「幸さんは人間です」
「人間にも種類がある」
「そんなのどうにでもなる」
「ならないでしょ?貴方は自分をまったく違うように変えられる?」
「それは」
 今自分が悩んでいる所で、痛いところだ。
「正直、ボスの人探しもボスがすっかり恋しちゃったあの極道との関係も興味ない。
ただ、彼をどうにか国へ連れて帰れないかだけずっと考えてた」
「幸さんはついていかない」
「でも、貴方が一緒なら来る」
「……え?」
 そう言って一瞬の隙をついて怜が身を乗り出し手が机のナイフを取ると春花の喉元へ刃を向ける。
やろうと思えばナイフで突き殺せたし、今だって喉を掻っ切る事もできる。
だけどしないのは最初からする気がないからか、ついとっさに春花が銃を握ってしまったからか。
「撃てば?じゃないとあんたの体から首が切り離されることになるかもよ」
「……撃ち方知らない」
「あ。そう。…それは誤算だったな」
 握ったはいいが本当に握っただけで何も出来ない。怖くて体が震えるだけ。
「……長井さん」
「怜でいい。ねえ、一緒に来てよ。そうしたら幸君、来てくれるから」
「行きません」
「別に五体満足で来てくれなくてもいいんだし、部分だけでもね」
 ニコっと笑って刃を春花の喉元へゆっくりと近づける。
 部分、ということはもしかして体をバラバラにするという意味だろうか?
 話し合いをするつもりだったけれどこれじゃ殺されるだけ?やはりこれは騙された?
「やめろ怜。それ以上近づくな」
「話してる間は入ってこないでって言ったのに」
 ドアが開いてずっと黙っていた男が入ってくる。どうやら加勢しに来たわけではないようだ。
不服そうにしながらもいうことを聞いてナイフを壁に投げる怜。男は春花の手から銃を奪い
 別の棚へ移動させた。物騒なものがなくなって、これで少しは落ち着けるだろうか。

「脅すために引き合わせた訳じゃない。下手に刺激して問題をでかくしてももう俺はかばえないぞ」
「はいはい。ごめんなさい。私が悪者なんでしょ?でこっちが可哀想な被害者なんでしょ」
「怜」
「幸さんには自分の意志があります。行かないと思うけどもし、行くと言うなら止めはしません。
私もこの街でパティシエの修業をするって決めたんです。だから貴方たちとも行かない」
「そう。それは幸せそうで何より」
「幸せになるまで…ここまで来るまでどれだけ悲惨だったか分からない癖に偉そうに言うな!」
「……」
「私達の邪魔したら許さない」
「いっちょ前に脅せるようになったんだ。あの頃は何をするにもビビりまくってたくせに」
「ダテに極道の女してませんから。もう、あの頃とは違うんです」
「銃も撃てないくせに。……でも、そうね、貴方は違うわ。あの頃のムカつく女じゃない」
 クスクスと笑っていた怜は少し真面目な顔になり、そう言って立ち上がる。
「……」
「わかった。私の負けだ。…どうせもう会うことも無いだろうしね」
「…長……、怜さん」
「あんなオノボリ丸出しのあんたがこんな度胸座った女になるなんて思わなかった。
ま、人生は長いんだし?夢とかあるなら頑張ってね」
「…はい」
「あ。でも幸君は最後まで口説き続けるからね」
 壁に刺さったナイフを引っこ抜いて彼女は先に部屋を出て行く。
 これはつまり、和解したということでいいのだろうか?明確な話し合いが僅かで
 微妙な空気だったが、おそらく今後彼女から攻撃されることはないと思う。
 ドアがしまって、彼女の足音が遠のいて。春花は深い溜息をした。

 心臓が今でもドキドキする、嫌な汗が全身じんわりでている。

 怖かった。とんでもなく、怖かった。けど、ひとつ壁を乗り越えた気がする。

「行きましょうか、明るい道まで送ります」
「は、はい」
「怜は不器用な女なので行き過ぎた言動は兄である俺がかわりに謝ります」
「え。い、いえ。…私も苛つかせる原因はあったと思うので」
 今の自分でもあの頃の自分は苛ついたと思う。幸のことを抜きにしても。
 体は重たいがこんな物騒な場所に何時迄も居るよりはマシと
 春花もやっとその場から移動することが出来て明るい道まで男の誘導で歩く。

「惜しいな」
「はい?」
「あの怜を黙らせる女、か。……面白い事になりそうだったのにな」
 もう目の前に明るい道が見えてくる所で男が立ち止まる。どうしたのかとつい反射的に顔を
見上げたら少しだけ笑っていて。素早く春花の手を取り、軽くその甲にキスをして去っていった。
 春花が何を言う、する暇もないくらいあっという間の出来事だった。
「わ…わ。……わっ」
 後からじわじわと恥ずかしくなって顔が真っ赤になる春花。
「はーるか!やっぱ春花だ!こんな遅い時間に何してんの?あれ?酒のんだ?」
「あ。え。…聖治さん。これからお仕事?」
「そうだけど。どうした?ほんとに、マジで飲んだ?にしては酒臭くないけど」
「お仕事頑張ってね!」
「え?う、うん。…頑張る」
 極道の女になって肝は据わっても不意打ちにはどうも弱い。
 逃げるように聖治から離れてタクシーを拾って部屋に戻った。


続く



2016-04-04

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