沈丁花 第5章 



話し合い...80





 どれだけ皆が優しくて見逃してくれても気持ちが落ち着くことはなかった。
 もっと賢く立ち回りたいけど、私は馬鹿だから。出来そうにない。

 夕暮れ二人きり、静かな屋上。話し合うにはこれ以上ない場面。覚悟を決めた顔で彼と向かい
合って気持ちを素直に言葉にして発しようとした春花。相手も察するものがあったのかいつもの
ように茶化さずに真面目な顔で見つめ返してくるから耐え切れなくて泣きそうになるけれど、
ここで泣いたら意味が無い。
 怖い。辛い。でも我慢、我慢。今だけなのだから耐えろ。大丈夫私なら出来る。
「春花?」
 はず……。
「私、卒業したら実家に帰ろうと思って。だから、それに、わ、私は…邪魔しかしないし…
だから私達……も、もう別れっ……たほうが……いい、…かもって」
「おい春花!」
「……」
「おい!聞こえてるか?何言ってんのかマジで聞こえねえからこっち戻ってこい!」
 彼と向かい合う真剣な気持ちに嘘はない。ないけど、やっぱり土壇場で怖気づいてしまって
逃げるようにその場から離れ。春花の目の前には彼氏ではなく己の咲き誇る季節を待つ沈丁花。
恐る恐る振り返ると呆れた顔の彼氏。どうやら先程の言葉は聞こえてないもよう。ほっとするような、
 しまったという後悔のような複雑な気持ち。春花は苦笑しながらも彼の元へ戻る。
「す、すいません。ちょっと緊張してしまって」
「緊張?なんだ、やっぱり別れ話なのか?何処が気に入らないんだ。俺が極道なのがか?
それともろくにお前のカレシらしいことが出来てねえとかか?他の野郎のが良いと思ったのか」
「……そんなあっさり言われると。その、私がむしろ邪魔になるというか。ろくな事にならないというか」
 やはり彼は何か察していて、言いづらそうにしている春花の代わりにポンポン言ってくれている。
春花がなんの否定もしない様子に顔はやや不機嫌ではあるけれど、激怒はせず怒鳴る事もしないで。
 彼女の真意が明かされるのを静かに待っているようだ。
「何かやらかしたんだな?」
「……」
「貴也の肩に関係してんのか」
「え」
「あれでバレてねえと思ってるなら俺も馬鹿にされたもんだな」
「……、…私のせいなんです」
「また面倒な事になってんのか。まあいい、詳しい話を聞かせろ」
「はい」
 場所をかえようと彼の部屋に入り、春花は椅子に座り相手はベッドにどっしりと座った。
春花は最初から最後まで全てを隠さずに話した。貴也も黒蜂のボスも彼には言うなと言ったが
既に貴也の傷のことはわかっているようだし、別れ話を切り出すにしても避けては通れそうにない。
 ただ彼らに口止めされた部分は言わないでおく。この人ならその辺りも察していそうだが。
「……なるほどな」
「ごめんなさい。ほんとうに、ロクなことをしなくって」
「……分かった」
 バカヤロウと何時もみたいに怒るかと思ったのに、帰ってきたのはあっさりとした返事だけ。どうしよう、
もっとなにか言われると思ったのに。自分からきっかけを作っておいてまさかの反応に激しい不安感。
 彼は怒るどころかもう既に気持ちがここに無いことがまるわかり。そんなに興味がないなんて。
「俺はこれから黒蜂ん所行ってオトシマエつけてくる。お前はもう気にするな」
「……」
 そう言うとさっさと立ち上がり出かける準備を始めた。春花はただ呆然として。
これってやっぱりお前とはもう終わったからさっさと出て行けって意味なのだろうか。
分かったって台詞はどっちの意味?こんなにあっさりと出ていこうとするのだからきっと。

 こっちは本当は一ミリだって別れたくないのに。やっぱりあの人がいいんだ。

「おい」
「……」
 出て行こうとする彼の目の前に立ってじっと見つめる春花。
「こういうのはさっさとやっちまわねえと後からいちゃもんつけたって意味がねえんだ。
しらばっくれたら終わりだからな。そういういい加減は許せねえ」
 無理に春花を退ける気はないようだが気持ちはもうここにはない、自分達の問題よりも
お家のほうが大事。彼らしい選択だ。だったらこっちだって。
 私だってやるときはやってやるということをここで思い知らせてやる。もうヤケだ。
「これは私と長井さんの問題ですから。私が、オトシマエつけてきます」
「はあ?馬鹿言うな」
「私が話をつけてきますから!」
「春花!こら!待て!」
 こちらの言葉に面食らっている相手の隙を突いてさっとドアを開けて廊下へ。
とにかく、ここから脱出して外へでなければ。春花は急いで階段を降り外へ飛び出る。
後ろではずっと自分を呼ぶ声がしていたが振り返らずに。ただ前だけ見て走った。
オトシマエとは何か知らないし彼女が何処にいるかも知らないけれど。
こういう場合たいてい自分が街を歩けば彼らが寄ってくるからウロウロしていればなんとかなる、と思う。
「猪!幸!お前らもこい!春花を捕まえるぞ!」
「若ったらまた変態行為をはるかちゃんに強要したんですね?」
「……変態」
「違う!あいつが黒蜂に話をつけに行くって出て行っ」
「何をぼさっとしてるんですか!行きますよ!」
「幸は?!」
「もうとっくに出て行きました」

 ここまで来たら大丈夫かと繁華街の雑踏で足を止める。走り過ぎて喉がカラカラ。だけど携帯も財布も
持ってきてないから何も買えず、お店でちょっと休憩も出来ず。ユウに連絡してお金を借りるという行為も
出来ない。仕方なくゆっくりと夜の街を歩き出す。今まで怖い連中に会わないようにコソコソとしてきたのに
今はその手の連中に会うために歩いているなんてなんだか変な感じがする。でも会いたいのは長井だけ。
できれば彼女と二人だけできちんとした話し合いをしたい。相手だってあの日はそれが目的で春花の前に
 現れたようだったから拒否され攻撃される可能性は低いと思いたい。
「春花さん?」
「あ。聡さん!調度良かった!」
「え?」
 繁華街のさらに奥へ、時間も遅くなってくる。そろそろ誰かしら会えないかと動きまわる春花に
 若干よれた黒いスーツ姿で客引き中の聡が声をかける。
「150円貸してもらってもいいですか?明日には絶対に返すので」
「……そ、それくらいならあげますから。まってください。えっと」
「ごめんなさい。喉乾いて……」
「ちょっと息が荒いですね?恰好もお出かけ中って感じじゃないし…も、もしかして追われてるんですか!?」
「え?…え?い、いえ。あのそういうわけじゃ」
「せ、聖治さんに連絡します!あ。でも今日は同伴って言ってたな…」
「ちょっと急いでるだけで。追われてるわけじゃないので、150円ありがとうございます。
絶対返すので、…お店にもまた行きますね。それじゃまた」
「あ」
 小銭を受け取ると足早にその場から遠ざかる春花。唐突に飛び出した恰好はやはり
違和感があるようだ。自販機を発見してお茶を購入。ようやく喉を潤して。
一息ついて落ち着いたらそろそろ誰か一人くらい見たことある人に出会うはずなのに
中々出てこなくて心細い。夜の繁華街の奥深く。ネオンが明るくても人がお多くても1人だと。
 
 そもそも何でこんなテンパっちゃったんだろう。別れようかっていうのに構ってくれないから?
 彼氏をあの人にあわせたくないだけ?ただの嫉妬でこんな無意味に夜の街を歩いてるの?
 
「貴方は学ばないのか?」
「……」
「それともこの近くで働いているのか」
「……あ」
 情けなくなってきて帰ろうかと思いながらぼんやり壁に持たれて行き交う人を見つめていたら
 その横に立つ男。春花に合わせるように彼も壁に背をあずけ視線は行き交う人達。
 黒蜂でも長井には会いたかったけれど、まさかよく見るもう一人の男と出くわすなんて。
「どちらにしろ、1人は危ない」
 でも警告をするだけで特に何もしてこない。
「……自分でもよくわかってないんです。何でこんな事してるのか」
「頭の病か」
「かもしれない」
 生まれて初めて本当に心から異性に恋なんかしたから。頭がおかしくなってるのかも。
「あのヤクザももの好きな男だ。それをいうならボスの趣味もか」
「……、話すなと言われたんですけど。結局話してしまいました」
「そうですか」
「私を長井さんに会わせてもらえませんか。きちんと話をしたいんです」
「あれでも怜は俺の妹だ。危険な目には合わせたくない」
「え?私はただ話がしたいだけです」
「どうしてもというならこちらから時間と場所をしていして、誰にも言わず1人で来ること」
「……」
「もしかしたら罠かもしれない。が、…それでもいいなら」
「わかりました」
「では連絡は後日」
「は、はい…」
 そう言うと男はふらっと去っていく。それと入れ替わるように春花に近づく影。
「姉ちゃん!」
「…幸さん」
「……あいつっ」
「ま、まって。違うから。…ね。落ち着いて幸さん」
 こちらに全速力で走ってきても前回ほど息切れはしていない幸。
 あの人はもしかしてこちらに向かってくる彼が見えたから去っていったのだろうか?
 それともただ偶然が重なったのか。幸は未だぼんやりしている春花の手を取りその場を離れる。

「バカヤロウ!」
「……」
 駐車場にとまっていた見覚えある車に乗ったら速攻で彼氏に怒鳴られた。
「何がオトシマエだ!何も分かってねえくせに!」
「若、そんな怒鳴らなくても」
「お前は黙ってろ!春花!何度も言ってるだろ!俺は機械でも犬でもねえんだ!
お前に何かあってもすぐには助けに行けねえって!分かってくれよ頼むから。春花」
「……どうせ、どうせ私よりお家のほうが大事なんでしょ!全然熟れてない色気もない私より、
噂通りボスさんのほうがいいんでしょ!だったらもういいじゃない!
そんな大声で怒らないでください!心臓に悪いし耳が痛い!!」
「……は?」
「幸ちゃん。ここは二人にしてあげましょう」
「……うん」
 後部座席に二人を残しさり気なく車から脱出する猪田と幸。
 それにも気づかずに嵐でも起こりそうな不穏な空気の車内。
「こっちだって将来のこととか悩んで清十郎さんとの事もどうしようかって思ってるのに」
「……やっぱり、別れるのか?……お前の気持ちはもう、俺にはねえのか?」
「……」
「春花。なあ」
「………すき。……すごい好き。だから…悩んでるんでしょ!」
 恥ずかしいのと腹がたつのと悲しいのでめちゃくちゃな顔になりながらも彼にパンチをあびせる。
 それも全然効いてないゆるいので。すぐに手を握られて止められて、抱き寄せられた。
「俺もだ」
「…清十郎さん」
「春花…」
 やっぱりこの人と離れるなんて出来そうにない。
「……あ、あの?今、カチャっていった」
「ん?なんだ?何も聞こえてねえけど?」
「な、なんでドアロックしちゃうんですか?幸さんとかマリーさん……え!?いや、まって!?何か出てる!」
「ここは一つお互いの気持を確認しあう意味も込めてだな」
「む、無理!ここは無理!見えるから!見えちゃうから!チャックおろさないで!い、いや!」
「正面から乗り込まれねえと大丈夫だって」
「やだ!まって!ちょっと!…っ…あんっ…じゃ、じゃなくって!せめてホテルでお願いします!」
「お。言ったな?良いんだな?ホテルに行けば俺にじっくりとお仕置きされることになるが?」
「ええぇっ……は、…謀られた…!」
「アイツラには先に帰ってもらって。俺らは歩いて行こうか。すぐそこだ」
「……」
「次はもう逃しやしねえ。走って出ていこうなんざ思うなよ」
「……はい」



続く



2016-01-23

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