沈丁花 第5章 



朝...76




 部屋から廊下へそして庭へ響き渡る春花の悲鳴。何事かと慌てて部屋に駆け込んでくる聖治。
命に別状は無いはずだが、尋常でない春花の声。まさか貴也に何かあったのかと冷や汗をかいた。
 けれど。ふすまを開けたらうつ伏せに倒れている貴也と必死に彼の名前を叫んで半泣きの春花。
「ごめんね春花。俺がもっと早く気づいてあげてれば。でもほら。
あの人すぐ無理するからもうちょっとくらい寝てるくらいでちょうどいいんだよ」
 そのそばにはお椀にはいった何か禍々しいもの。
「白目むいてましたけど」
「よほど不味かったんだろうね、苦悶の表情で気絶してたもんね」
「……」
「ああっごめんっいや、春花の責任じゃないんだって」
 再び強制的な眠りについた貴也を安静に寝かせていったん部屋を出た春花と聖治。
貴也に持ってきたおかゆは若干色合いが怪しい物体であったがまさかのあすみ手作りだったらしい。
お母さんの居ない台所。あすみが家族の分の朝食を作っていたのは見ていたからこっちはてっきり
特別に聖治が作ってくれたのかと思っていた。男の人だからちょっとくらい色も違うんだろうくらいで。
 まさかこっちも作ってくれていたなんて、でも怒るわけにもいかない。彼女は善意で作ってくれたのだ。

「私もうダメです…二度も貴也さんを殺しかけたんですから…もう、……だめ」
 ただでさえ貴也が怪我をしたのは自分のせいだと落ち込んでいる春花。
 余計に落ち込んだらしくうつむいてネガティブなことばかり言っている。
「何もダメじゃないから。その、……えっと、うん。とにかく春花が悪いんじゃないから」
 聖治もそれを分かっているから何処に話を着地させるべきかで悩んでいる様子。
「居ないほうがいいと思いますから、帰ります。貴也さんが息を吹き返したらかわりに謝って頂いても
いいですか?本気で怒ってたら…指、…こ、…小指で、…小指で勘弁して下さいって」
「若は君には甘いから大丈夫。そんな顔をしないで、春花もちゃんと寝てないんだしゆっくりしていって」
「そうもしてられないです。学校へ連絡しないといけないし、他にも連絡を待っている人がいるので」
 一緒に切磋琢磨してきた翔に応援をしにわざわざ会いに来てくれたユウに昨日助けてくれた幸。
あともしかしたら彼氏。みんなきっと心配して連絡をまってくれているはずだ。
 彼氏なんて大暴れしている可能性が非常に高い。猪田がうまくカバーしてくれていたらいいのだが。
そこら辺頭が痛い。学校にもうまく説明をしないと、正直に全部はなそうならそれはそれで自分の立場が
微妙になりそうだから。隠すような悪いことはしていない。
 けど、世間様はそうは見てくれない。彼氏からも強く言われていることだ。
「そっか。…でも、春花。昨日のことだって、さっきのことだって春花が悪いわけじゃないから」
 優しく笑顔で言ってくれるけれど、本当ににそうなんだろうか。聖治は気を使ってくれているの
ではないだろうか?全部私が居なければ起こらなかったのでは?私があの人に嫌われるような
ことをしなければ。時給に釣られて危険な場所で仕事なんかしたのが良くなかったのだろうか。
 でも。
その道を選んでいたら私は今のように人生を楽しいと思えていただろうか?
 同じ事を何度もぐるぐる考えたって仕方無い。結論がでるのは今よりもっと先なのだから。

 聖治の家を出てぼんやりと歩いて帰る。送ると言ってくれたが貴也が心配だからついていて
あげてくださいと言ってきた。まだ朝だし、さすがにこんな道で何も起こりはしないだろうと。
恐る恐るカバンから携帯を取り出してみるとやはり着信履歴が沢山溜まっていて思わずゴメンナサイと
本人たちが居ないのに謝った。ただ、奇跡的に彼氏からのメールも電話も入っていなかったから
そこだけは良かった。まず何処へかけようか。
ここはやはり学校だろうか。きちんと説明が出来ないと下手をしたら単位が取れず失格になる。
 流石に退学にはならずともみんなと卒業が遅れてしまうのは嫌だ。
「……」
 覚悟をきめてボタンを操作していたら目の前に立ちはだかる人。明らかに自分を見ている。
嫌な予感を抱きながら携帯画面から恐る恐る顔を上げるとそこに居たのは何時ぞや幸が襲撃した男。
ということはつまり、長いの所属している黒蜂の男。もしかして私が家から出てくるのを待っていた?
 昨日の続きとばかりに襲いかかるつもり?あまりにもいきなり過ぎて恐怖で身が縮み声が出ない。
「乗って頂けますか」
「……っ…えっ」
 後ずさると春花の後ろに止まる黒塗りの車。乗れということはやはり春花を拉致して別の場所で
殺すということ?こんな念入りに殺しにくるくらい私を恨んでいるということなの?
明るいといってもまだ朝早すぎるのと近道しようとして人通りの少ない道を選んでしまったので
 叫んだ所で助けが来る可能性は低い。来るまでに殺されるか、そのまま連れ去られるか。
「貴方を傷つける為に来たわけじゃない。ボスが昨晩の事を詫びたいと言っているのです」
「……」
「信じるに値しない人間なのは承知していますが、昨日のことはボスの指示ではない。
組織にとって貴方は無関係な人間。襲う理由はない」
「……私が、清十郎さんの女だということは」
「知っています。だが、それも組織には関係のないことだ」
「……」
「5分ほどで結構です」
「……わかりました」
 関係ない人間と言いながらどうしていきなり自分に詫びようなんて思うのだろう。
やはり彼氏の事を聞き出そうとしているとか?聞かれても答えられることなんて無いのに。
春花を怖がらせないようにか、皆して極道な部分は極力見せないようにしてくれているから。
不安を感じながらも男とともに車に乗り込む。
 もちろん、お詫びだけと言う彼らを全て信じたわけではない。どうせ逃げたって捕まえられるのだから、
それならまだ怪我をしないように大人しく従うほうがいいだろうと思っただけ。
大丈夫、今まで何度もピンチはあったがその度になんとかなってきた。今回もきっとどうにかなる。
 なんて自分を落ち着かせながら。


「……」
「なあ幸。春花さんどうしたんだよ。何処行っちゃったんだよ。なんの連絡もなく学校休むなんて
今までなかったし連絡ないし、すごい不安で。まさか悪いやつにつかまってるとかじゃないよな?」
「……姉ちゃん。怪我、ない。大丈夫」
「そうか。よかった。なんか事情があったんだろうけど、連絡してくれてもいいのにな」
 いくら春花の携帯にメールしても電話をかけても全く返信がなくて。不安で。心配で。
眠れない夜を過ごした馬宮。もしかしたらコイツなら知っているかもしれないと朝イチで幸の携帯に
電話をかけて適当なお店に呼び出した。相変わらず無口で端的なことしか言わない男だがそれでも
春花の事を知っているようで安心する。でも内心コイツは知ってて自分は知らないというのが若干
 嫌だったりしたけれど。今はそんなことはどうでもいいので口にはしない。
「……姉ちゃん。電話、くれる。はず」
「そうなんだ。俺にもしてくれるよな。…あんだけ電話かけたんだし。もしかしてそれがウザかったとか?
いや、そんな事考えるような人じゃないし。その、犯罪に巻き込まれてるのかもって心配しただけだし」
 何時もの彼女ならすぐ連絡を返してくれるはず。学校の事もあるし。
「……」
「連絡、来るよな。幸」
「来る」
「だよな。……朝から呼び出しちまったし、なんか、頼めよ。おごるから」
「……これ」
「え……朝からチョコサンデー食うのかよお前」
「……」
「……900円すんぞこれ。ああ、いいよ。頼もう。俺も食うぞいちごサンデー!」
 よせばいいのにテンパッて何故か自分も朝からサンデー。男二人で食べるサンデーの気まずさ。
幸は何も考えていないでただ美味しそうに食べている様子だったが、馬宮はあらゆる方向から感じる
 視線が痛かった。その間も春花からの連絡がなくてそわそわ。

「おい、幸何処行った」
「お友達に呼ばれて行っちゃいました」
「あいつにダチなんか出来たのか。そりゃすげえ」
「若。幸ちゃんだって成長してるんです、ちゃんと同年代のお友達が居るんですよ」
 その頃。幸が居ないことに今頃気づいた若は朝食後のコーヒーを飲みながらゲラゲラ笑っている。
呆れる猪田だがそれ以上何を言った所で無駄だろうとさっさと食器を片付けてお店の準備へ。
幸は何も言わずにただ知り合いに会いに行くと言っていたけれど、昨日の慌ただしい様子も踏まえて
何かあったのだろうと察している。でもそれが何かはまだ猪田にも分からない。
 できれば春花絡みでないことを祈るけれど。
「貴也の奴昨日はいい所で逃げやがって。せっかく俺が熟女のイロハを教えてやろうって思ったのに」
「またそんな事して。貴也さんだって女の子の好みはありますよ。押し付けるのはどうかと思いますけど」
「あいつ何時まで経っても女作らねえじゃねえか」
「あれで結構シャイな所もあるし、本当は居ても茶化されるのが嫌で黙っているだけなんじゃないですか?
貴也さんなら女の子のほうがほっとかないでしょうしね」
「シャイ?はぁ。そういうもんかね?女くらいで」
「若はそういう所は隠そうとしませんよね」
「黙ってたら誰のモノかわかんねぇだろ?特にアイツは無自覚に餌をばら撒くからな」
「でも、若。ちゃんと釣った魚に餌をあげないと逃げられちゃいますよ?」
「これ以上どう餌付けしろってんだよ。苦労して手に入れたもんだ、そうやすやすと逃がすか」
「意気込みだけは立派ですけどね、熟女バーに行って弟を引きこもうとしていた時点で説得力ゼロですよ」
「うるせえ。それとコレは別なんだよ」
 春花本人が聞いたら拗ねること間違いなしの暴論を叫びながら屋上へ上がっていった若。
タバコでも吸いに行くのだろう。あるいは話題に出てきた春花へこっそりと電話をかけるか。
あちこち脱線しながらも結局は彼女が一番いいのだから。その真っ直ぐさは可愛らしいと思う。





続く



2015-12-12

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