沈丁花 第5章 



落胆...72




「清十郎さん」
「ん」
「……どっか遠くへ行きたい」
「遠くか。じゃあ、海外でも行くか?」
「はいはい!ベルギーかオーストリアかフランスがいいです!ドイツもいいですね」
「おい。菓子の勉強会じゃねえんだぞ。旅行だろ?俺のことも考えろ」
「……ビールあります。お城とかもいっぱい」
「そんな興味無さそうに言うなよ」
 お前の頭の中は菓子だけか。そう言って軽く頭を小突かれるが痛くはない。
彼氏に会うためにはまず昼間のうちにメールをして夜タクシーに乗りこっそりと部屋に向かう。
建物に入るまでにもコソコソと周囲を気にしながら。一気に中へ入る。まるで泥棒に入るみたい。
近くに住んでいてもすぐに会えない。事前にメールしても土壇場で断られる日だって結構ある。
自分で選んだ極道の女なのだからとちょっとは慣れてはきたけれど、
直面している現実にも行き詰まってきていて、だんだん何もかも嫌で逃げ出したくなってきた。

 もし行けるのなら、それが許されるのなら。
 彼と何処か遠くへ行って昼間でも関係なく街を歩いて甘いモノを食べ歩きたい。
 何もかも忘れてただ好きな人と居たいと思うのはやっぱりただの現実逃避だろうか。

「じゃあもういい。夢の国ランドに行きたい」
「いきなり近場になったな」
 春花は既に眠る準備を済ませてから部屋に来ているため彼氏は一人で風呂へむかい、
髪をちゃんと乾かさずに戻ってきてベッドに座っている。春花は少し距離をおいて椅子に座っている。
オールバックにするとほんとヤクザまるだしですね、と言ったらお前は本当にアホなんじゃないのかと
 真顔で言われた。ちょっとムスっとするが我慢。せっかく来たのにいじけたら勿体無い。
「ちなみに今までそういう所行ったことあります?」
「俺が行くと思うか」
「ほら。小さい時に家族で」
 この人の子どもの頃とか想像もつかないけれど、これでもちゃんと赤ちゃんから学生時代があったのだ。
想像するとだんだんおもしろくなってきてつい吹き出す。怒られるのは分かっているから必死に我慢して
 いたけれど、ランドセルを背負う姿を想像して。案の定、怒ったような渋い顔をする。
「何をニヤニヤしてんだよ。イヤラシイ女だなお前は」
「そ、そんなコトないです。ちょっとほのぼのとした妄想をしただけじゃないですか」
「はあ?人のツラみてヤクザ丸出しとか言いやがって何がほのぼのだ。いいからこっちこいよ」
 ここに座れと自分の隣をポンポン叩く。ちょっとご機嫌ナナメだったのはやはり何時迄も春花が
側に来ないから。それは彼女も分かっていたのだが、でも敢えて距離をもって座っていた。
少しでも話しがしたいと思って。だがこれ以上焦らしても仕方ないし、
 後で乱暴にされて怒られるだけなので。席を立つ。
 彼の隣りに座って軽く身を任せたらちょっと強めに肩を抱かれる。
「でも、ちょっとでかけてみたいな。上京してから遠出の旅行とかなかったし」
「ババアが参加予定だった旅行についけけばよかったな」
「そうですね」
「それとも。本当に、俺とどっか遠くへ行くか」
「楽しそうだけど。清十郎さん、モテるから。ずっと独り占めは出来ませんからね」
 彼も口では色々と言っていても、結局はこの街を家を仲間を捨てることは出来ない。
 信頼し頼ってくる人間も多いようだし。
 ちょっぴり悔しいけれど、そんな頼りがいのある所も春花は好き。
「まだそんな事言ってんのか」
「女は私だけ。でしたっけ?」
 ちらほらと謎の女と会ってるとか気になる話を聞いたけれど、
 でも、それを確かめる勇気は春花にはない。彼も何も言ってくれない。
「お前だけだからこんなにナってんじゃねえか」
「だ……だから!無理やり触らせるのはやめてくださいって毎度言ってるじゃないですか!」
 さりげなく手を握られたと思ったらそれをそっと自分の股間に押し当てる。なんか、硬い。
「お前が何時までたっても触らねえからだろ?そろそろ撫でるくらいはしろよ。しゃぶれとは言わねえから」
「そ、そんなもの口に入れるなんて頭おかしいです!美味しいものを食べるための口に!」
「まあ、味わってみろよ。案外気にいるかも知れねえだろ?」
「いや!絶対絶対絶対いや!……絶対やだ」
「じゃあ撫でろ」
「選択肢は?」
「撫でるかしゃぶるかだ」
「ひ、ひどい!」
「あ。まて。もう一つ増やしてやる」
「……何ですか」
 あんまり気は進まないけれど、それよりはまだましな選択肢かもしれない。
恐る恐る彼の返事を待っていると立ち上がり、何やらゴソゴソと棚をあさりだして。
 それをもって春花の元へ戻ってくる。彼女もよく知っている電動のえっちなやつだ。
「これ、使っても」
「今日はもうマリーさんと寝る!」
 半泣きで立ち上がり出口へ向かう春花。だがすぐに手をつかまれて惹き寄せられる。
「行かせる訳ねえだろ。馬鹿だな。ほら。寝るぞ」
 怒っているわけではないがちょっと怖い真面目な顔をする彼。でも、その手には卑猥なもの。
「……じゃあその手の卑猥なもの片付けて」
「選べよ」
「……」
「どれだ?」
「……が、…がんばった見返りは?」
「泣くほどイキまくる」
「ぜ、全然ご褒美じゃない!そんなの自分が楽しだけじゃないですか!」
「なんだ全部ほしいのか?ほんとイヤラシイ女だな」
「いらない!……い、…いやー!」
 
 優しくて理解があって素敵な男性は沢山いると知っているのに
 ひどい目にあうと分かってるのに
 この無慈悲なケダモノに私は会いたくて仕方ないんだろう?


「若。春花ちゃん、泣きながらお店行きましたよ」
「俺に会えてよほど嬉しかったんだろうな」
「それは若でしょう?嬉しいからって意地悪しすぎると嫌われますよ」
 翌朝。起きると既に隣に春花は居なくて、でもダフネで短時間ではあるがアルバイトをする日でも
あるのでさっさと部屋に帰った訳ではなく先に朝食を食べて幸と二人でお店の開店準備に向かった
 と猪田に聞いて少し安心。 
「それより猪。家の様子はどうだ、あの糞爺はまだ生きてるか」
「ええ。元気ですよ。珍しいですね、若が親父さんを心配するなんて」
「心配なんざしてねえが。……ちと気になってな」
 ただ弱音を吐きに来たとは思えない。本当にボケたのならそれはありえるのかもしれないが。
自分の知っている父親は多少ボケようとも息子に懺悔しにくるようなタマではない。何かあるはず。
猪田には何も言っていない、となるともう一人の息子かあるいは嫁には喋っているだろうか?
 面倒になりそうだから敢えて詳しい話を聞きに行く気はないけれど。不安ではある。
「あ。そうそう、もうすぐ聖治君のお誕生日らしくって。春花ちゃんがプレゼント」
「悩む必要はねえよ、その前に俺が殺すから」
「若落ち着いて。あの子は誰にだってお祝いをしてくれるんだから、聖治君だけじゃないんだし」
「あの馬鹿。やっぱり無理矢理に口に突っ込んでやればよかった」
「プレゼントを何にしたらいいかわからないから若に聞いて欲しいって言われて」
「はあ?何で俺に聞くんだ」
「お友達だからじゃないですか?男同士ですし。私にもその辺はわからないですからね」
「どう見たらあれが友達になるんだ。…俺より貴也のが詳しいだろうに」
「私もそう言ったんですけど。やっぱり貴也さんには聞きづらいみたいで」
「適当にエロ本でもくれてやれ」
「……若」
 呆れた顔をする猪田だが本人は気にせず朝食を食べてタバコを吸いに屋上へ上がっていった。

「姉ちゃん。元気、ない?」
「……元気ないです」
「どうした?……かぜ?」
 その頃。お店の開店準備を終えて店番をしている春花と幸。企画を考えている途中だそうで
猪田に良いアイデアがあればバンバン言って欲しいと言われているがなかなか浮かばないもので
それ以上に自分の課題が重たくて、他を考えるのは難しいというのもある。
 まだお客様は入ってこない。春花はちょっとだけぼんやりしていると幸が顔を覗いてきた。
「何ででしょうね」
「……」
「そんな顔をしないでください。体は健康です、…一部を除いて」
 ちょっとお子様には言えないような箇所が言えない理由で痛いです。
 原因は分かっている。ここの社長だ。
 彼女が泣きながらやめてって言えば言うほど喜んでくるケダモノ。
「姉ちゃん」
「幸さんは変わらずに健康で、純粋で、優しい人で居てください」
「うん」
 気持ちを切り替えよう、まだまだ1日は始まったばかりでやることも多い。
 それとプレゼントを何にしようか。悩んでいる間にも時間は過ぎていくわけで。
 幸にも聞いてみたが興味がないというか、むしろ嫌そうな顔をされるだけだった。
「げっお前まだ居たの?」
「志賀さん。おはようございます」
「しぶといよなお前も。さっさと学校卒業して家に帰れよ。それが一番いいんだって」
 ひょっこり店に入ってきた志賀。そういえばこの人もダフネのアルバイトだったか。
 確かここでの名前は志賀とは違うがもはや誰も気にしていない。
「それはまだ決めていません」
「あの若い刑事の兄ちゃん。まだまだお前に未練ありそうだしさ。お似合いだと思うけど」
「すごいですね。そこも調べたんだ」
「情報で飯食ってるんでね。それに、お前の情報はどこでもいい値で売れるんだ」
「……私の、情報」
 どういうことだろう。怖いことに使われているのだろうか?
 もしかしてそれで不良に狙われた?関係があるのだろうか。
「誰にでも金さえ払えば情報を売る。よくこんなゴミを兄さんは飼っているな」
「貴也さん」
「おい、いいのか?この男はお前の大事な彼女を危険に晒すぞ」
「ちょ、ちょっと!なんてこと言って」
「……殺す」
「うわあ!待って!なんか何時もより目が怖い!」
 不安な顔をする春花を他所に幸に追いかけられて逃げる志賀。だが、幸の俊足に勝てるはずもなく
 あっという間につかまって首根っこをつかまれて外へと連れだされていった。
「いらっしゃいませ。貴也さん。…清十郎さんは事務所か屋上だと思います」
「今日は少し買い物をしに来ました」
「そう、ですか。男性物はこっちです」
「どうも」
 てっきり兄に会いに来たのだと思ったが、まさかのお客様?
 春花は驚きながらも彼を売り場へ案内する。お供は居ない。
 外で待っているのかそれとも本当に一人できたのか。
「あ!」
「何ですか急に」
「……あ。そ、そういう。こと?」
「は?何ですかその鬱陶しい視線は」
「貴也さんって、結構、……その、……そ、そういう。でも清十郎さんもそういう所あるし兄弟で似て」
「すみませんが貴方の今妄想していることを教えて頂いても良いですか?」
「あれでしょ?聖治さんの誕生日プレゼントに下着を」
「そんな気持ち悪いことをするくらいなら腹掻っ捌いて死にます」
「ええっ…それは怖いのでやめましょう」
 やっぱりな。貴也はひどく疲れた顔をしたが丁寧にきっちりと否定をした。
 嫌だけどここできちんとそうしないとこの女は何処までも勘違いする。
「自分の買い物に来ただけです」
「じゃあこっちのビキニコーナーですね!新作のブーメラ」
「すみませんが貴方は何処か遠くへ行って頂けますか?今すぐに」
「え」
「悪いな。この馬鹿店員は本当にどうしようもない馬鹿だからよ」
「ひ、ひどい」
 珍しいことにお店に顔を出している社長。もしかして貴也が来たことに気づいて?
 屋上に居れば車が来たらわかる。あるいは事前に連絡をとっていたのかもしれない。
「兄さん。あの情報屋を野放しにするのか?何処と繋がっているかも分からないのに」
「追っ払っても出てきやがるんだ仕方ねえだろ。それに、情報はそれなりに有用だしな」
「……そうですか」
「お前が店に来るのは珍しいな。スキなだけ見てけ、ちょっとはまけてやるよ」
「ありがとう」
「春花。テメーは事務所の掃除でもしてろ」
「えー」
「社長命令だ。あと、説教もするからな。時間だからって逃げるんじゃねえぞ」
「説教???」
「聖治へのプレゼントについてだ」
「ああ。あれ。いいアイデアありました?」
「兄さん、駄目だ。彼女には何も通じてない」
「わかってるよ貴也。だから後でしっかり説教して無理矢理にでも分からせるんだろ」
「……辛いな、兄さんは」
「言うな。余計辛くなる」




続く



2015-11-06

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