ケーキと彼と危ない人


「若いなぁ」
「わかい?」

ダフネ店内。先ほどから春花はため息ばかりしている。
今日はバイトをする日で何時ものようにエプロンをつけて幸と2人店番をしていた。
さすがに客が居る時はため息なんてしないで笑顔を作っているけれど、
人が居なくなると落ち込んだ様子でマジマジと幸の顔を見ている。

「肌も綺麗だし。何時も元気だし。筋肉痛も遅れてこないんだろうし」
「姉ちゃん?」
「私なんてちょっと夜更かししたら肌は散々荒れるし夕方には目が霞むし
軽くぶつけただけですぐ痣とか出来るし筋肉痛もちょっと遅れてくるし」

幸に聞いてほしいのかあるいは盛大に独り言を言っているのか。
客が居ないのをいい事に朝からずっと愚痴ってばかりいる。残された幸は
何が起こっているのか分からない様子でただ姉ちゃんを目でおってばかり。

「……姉ちゃん」
「仕方ないですよね。人間そりゃ歳とりますって。ね?ね?」
「朝から若い男を押し倒そうなんて元気だねえ小娘が」

困惑している幸に答えを迫る春花。聞きながら返してほしい返事は決まっている。
そんな事は無いよと否定してほしい。乙女心。そこへ表れたお客様、ではなく
振り返るとド派手な白のワンピースと胸のリボンが印象的な人が居た。

「あ。バンビさ」
「姫華です」
「姫華さん。今日はバイト休みじゃ」
「ちょっと顔出しただけ。相変わらず節操の無い破廉恥女だな小娘」

志賀に言われて幸との距離がやたら近い事に気づく。興奮しすぎた。
春花は今度は志賀に近づく。

「あの、姫華さんって結構いい歳じゃないですか。でも肌とか綺麗ですよね。
何か秘策とかあるんですか?食べているものが違うとか?運動とか?」
「はあ?貴様に教えるわけがなかろう!自分で調べな!」

あっち行けシッシと手であしらわれ彼は去っていった。
猪田か社長に用があったのか或いは幸の攻撃が怖かったからか。
とりあえずまた深いため息をする春花。結局振り出しに戻った。

「…うーん。こんな顔してたのかな私」

店に設置してある鏡で顔を覗き込む。まだ昼前だからか疲れた顔はしてない。
だけどそう毎日自分の顔なんてじっくり見てないし上京したての頃は鏡を見るのも嫌だった。
ガラスや窓に映る自分の顔は悲惨で。今はあそこまでひどくは無いと思うのだが。
先日のオバサン発言は思いのほか尾を引いているようだ。

「……」
「すいません、1人で取り乱しちゃって」

ずっと自分の顔を見ている春花を後ろから抱きしめる幸。何を言ってくる訳でもなく
まるで母親に構ってと甘えているような仕草。触れてくるのはよくある事だから
春花もビックリはしても胸がドキっとしたりはしない。

「……」
「今更仕方ないって分かってるんですけど」
「いい。…姉ちゃんは、姉ちゃん」
「はい」

ニッコリ笑ってみせてその場から離れる。何時お客が来るか分からないし整理したい場所もある。
時計を見てどれだけ自分が無駄に時間を費やしていたか分かってゾッとした。
歳の事はもう出来るだけ明るいうちは考えないようにしよう。


「おい小娘」
「はい。あ。まだいらしたんですか」
「居たら悪いか!」
「悪いとは言ってないですけど。どうかしました?」

昼の休憩に入り猪田を手伝おうと先に店を出た春花。
その廊下でまた志賀と出くわす。相変わらず喧嘩ごし。
しかし彼から声をかけられるのは珍しい。

「とっておきの情報を教えてやろう」
「バーゲンか何かのですか」
「撃つぞテメェ」
「あ。それともさっき聞いた美白系の」
「親父さんの話だよ馬鹿!」
「親父さん?私の父がどうか」
「何でお前の親父なんだよ。若のだよ!」

春花の暢気な返事に苛立ち今にも拳が飛びそうな志賀。
何時も邪魔をする幸は居ないからやろうと思えば出来ない事は無い。この女に
1度怖い思いをさせてやりたい願望に駆られるが話をしないことには進まない。
ここは腹が立っても押さえようと必死に足を踏ん張る。

「社長のお父さんがどうかしました?入院なさってるんですよね」
「ああ。でも自宅療養する為に退院して、若の女がどんなもんか見に来るらしい」
「えっと。……私も、含まれますか?」
「逃げるなら今だよ。堅気だろうと容赦ないんだから親父さんは」

やっと本題に入り志賀はニヤっとわらい、春花は首をかしげる。

「何か悪い事しましたか私…」
「そりゃもう。あんたは」
「あんまり余計な事言わないほうが身の為ですよ」
「げ」

何時からそこに居たのか。割って入る小田。
彼には落ち着いた印象があったが今は何となく怒っているような
志賀を睨んでいるような。まるで別人のように冷たく怖いものに見えた。

「あの」
「ちょっと来てもらえますか」
「…はい」

春花は事情がよく分からないまま小田についていく。残された志賀は何も言わない。
小田に止められて何も言えなくなってしまったのだろう。怖いくらいの静けさに
自分の知らない所でまた何か動きがあったのだと春花は察した。
外に出て彼の車に乗り込む。行き先は分からない。


「あの人から何処まで聞きました」
「社長のお父さんが退院して、社長の女に会おうとしている所まで」

特に会話もなく赤信号でとまったのをきっかけに小田が切り出す。
何となく何時もと違う空気に春花は戸惑うばかりだ。
相手は小田なのだから怖い事は無いはず。そう信じているけれど。

「全く。余計な事を」
「……」

珍しくイラついている顔をする彼に少し自信がなくなってきた。
そんな春花の不安げな視線に気づいた小田は少し表情を緩める。

「すいません。お嬢さんに害が及ぶことはしません。させません」
「あの。もしかして私何か悪いことをしてるんじゃ」
「え?いや、何もしてないですよ。悪いのはこっちですから」
「でも」

会ったことすらない人だけど志賀の言う感じだと怒っているみたい。
もしかして息子が付き合うにはつりあわない女だと思われたとか。まさか
家を継がないのも帰らないらないのも女の所為だと思われているとか。
堅気にも容赦ないと言っていたけれど。

「あの人の言う事は信じないでください」
「でも、嘘じゃないでしょう?お父さんが退院なさるっていうのは」
「はい」
「社長の女に会いたいっていうのも」
「それは大丈夫です、こっちでどうにかしますから」

やけにあっさりと言うけれど自分は何も聞いてない。
たぶん志賀に言われなければずっと気づかなかった。それなのに。
もしかしてやはり他に女がいたということ?父親に紹介出来るような。

「……」

でも、信じたい。

「お嬢さん」
「大丈夫です。小田さんも大変ですね」
「自分なんて。それより、すいませんでした昼前に行き成り連れ出して。
何処へ行こうって訳じゃないんです。戻りましょうか」
「はい」
「若に睨まれるな…」
「え?」
「いえ」

軽いため息をして苦笑いする小田はすっかり何時もの調子に戻ったらしい。
そこは安心できたけれど。でもこの話にはまだ何かある。燻ったものを隠しながら
春花たちはビルへと戻ってきた。部屋に入るなり此方を睨む社長の出迎え。

「小田テメエ…」
「社長」
「何だよ。いいかお前さんにも言いたいことが」
「それよりご飯にしましょう。お腹すいたんです」
「そうですよ。お説教はまた今度。さあ座って座って」

ふて腐れる社長を他所に席につく4名。
志賀が居ないのは分かるが幸まで居ないのは珍しい。
猪田に聞いてみるとお使いを頼まれて今居ないのだという。

「若、明日は必ず来てくださいよ」
「何度も言うな。分かってる」
「それじゃ自分はこれで」
「ああ」

食後の片付けを手伝う春花を他所に何やらコソコソと話している2人。
どんな会話なのか気になるけれどここは知らないフリを通そうと決めた。
きっと自分が首を突っ込んだって仕方の無い話なのだろうから。
そう言い聞かせ夢中で皿を洗う。

「さて。ここはもういいから、若の所へいってあげて」
「でも」
「小田ちゃんならもう帰ったわ。大丈夫」

少し考え春花は手を止めて社長の下へ。
猪田はその様子を見守っていた。

「社長」
「ん」

恐る恐る向かうと社長はソファに座り競馬新聞を眺めていた。
珍しい事に煙草は吸っていない。春花に気兼ねして我慢しているのだろうか。
それとなく彼の隣に座り伺うようにそっと顔を見る。いたって普通。
先ほどのように拗ねてもいないし怒っている様子も無い。でも視線は新聞。

「今日…泊まってもいいですか?」
「あ?ああ。好きにしろ」
「……清十郎さんの、部屋に」

ちょっと恥かしそうに言った春花に彼は初めて反応した。

「俺の部屋」
「駄目ですか」
「……いやまてこいつの事だから…」
「駄目ならいいです、帰ります」
「いや、…いい。泊まってけ」
「はい」

今までだってたまにだが社長の部屋で一緒に寝ることはあった。
文字通り寝るだけだが。だけど何となく春花の言い方には含みがあって。
それに頬を少し赤らめ恥かしがった顔なんてするから。
それ以上の事を期待してしまうのは男の性として仕方が無い。

「おい猪!猪!」
「はーい。何ですか?」
「ちょっと出てくる」
「え?はるかちゃん居るのに?」
「す、すぐ戻る」

新聞を放り投げ猪田に留守を任せると1人部屋を出て行った。
何が起こったのかよく分からない残された2人。

「えっと。じゃあ、私もちょっと出てきます」
「あら。はるかちゃんまで」
「コンクールの事でちょっと」
「そう。じゃあ気をつけてね」
「はい」

春花も間もなくビルを出て乗ってきた自転車に乗り込み店へと向かった。
今日は店は休み。呼んだのはオーナーではなくて馬宮。
メールでは見せたいものがあるとか。もしかして作品を試食してほしいとか
アドバイスがほしいとかそういう事ではないだろうか。何も出来そうにないけど。

「姉ちゃん」
「幸さん。今帰りですか?お疲れ様です」
「…どこ。行く?もう。帰る?」

角を曲がろうとしたら人とぶつかりそうになる。慌てて回避したけれど、
無事か確かめようと視線を向けると立っていたのは幸。
お使いを終えてビルに戻る途中のようだ。

「いえ。少しバイト先に顔を出したらビルに戻ります」
「……俺。一緒。…行きたい」
「でも中には」
「外。…まつ」

そんな寂しそうな声で瞳を潤ませ言われると断わりきれない。
春花は自転車を降り手で押して歩き幸と共に店へ向かう。
到着すると彼は近くの公園で待っていることに。

「はるかさん」
「こんにちは」

店の裏から入って何時も馬宮親子が作業している厨房へ。
ここでお菓子を作る事はまだ無いから神聖で少し緊張している。
奥に進むとエプロンをした馬宮の姿。
よほど集中していたのか顔に粉がついたままなのに気づいていない。

「いきなり呼び出してごめん。でも、どうしても見てもらいたくて」
「これがもしかして試作品?」
「まだ1つに絞れないんだけど」
「凄い繊細な飴細工…綺麗」

あらゆる方向から試しているらしく色形の違うケーキや焼き菓子が並んでいた。
そんな中で一際目立つ飴細工の花。繊細で美しく食べるには惜しすぎる。
学校でも何度か飴細工をしたけれど春花は正直あまり得意ではない。

「それはちょっと失敗した奴で。は、…春花さんのが、…き、…綺麗、だし」
「どうしたんですか翔さん。顔真っ赤」

視線を菓子から馬宮に向けると視線が泳ぎ顔は真っ赤。

「徹夜したからかな。はは」
「私も見習わないと。見せてくれてありがとうございます、いい刺激になりました」
「あの、良かったら今週」
「わあ。これも美味しそう…」
「幾つでも持ってって。売り物にはならないし俺と母さんじゃ食べきれないし」
「じゃあ。3つほど頂いてもいいですか?」
「箱にいれるよ」
「すいません」

美味しそうなケーキで視野がいっぱいで、
何か言いたそうにしていた馬宮に気づかないまま箱にケーキを詰めてもらう。
お金を払うといったが試作品だからと受け取ってもらえなかった。徹夜で
疲れている様子の彼を見て何か差し入れを持って来るべきだったと思いつつ
長居しては悪いだろうと店を出た。やはり何か言いたそうな馬宮だったが。
春花がまた明日と笑顔で手を振ったら振り替えしてくれた。


「こんな所で何してるの」
「……」
「まさか公園に遊びに来たって訳じゃないよね」
「……」

ケーキを手に気分よく幸が待っている公園へ向かう。
ほろ苦い思い出が残る場所だが今はそれよりも甘い香りに酔いしれて。
幸の後姿を見つけ合流しようとしたらもう1つ見覚えある姿が見えて。
条件反射のようなもので春花は木陰に隠れる。

「どうして何も喋ってくれないの。幸君」
「……」

もう会う事はないと思っていたのに。周囲には長井と名乗っていた女性。
本当は外国の何やら危ない集団の人だったらしいけれど。それがどうしてか
この公園に居て幸の目の前に居て彼に抱きついている。

「まるで人形。こんな綺麗な顔してるのに」

何の反応もしめさない幸の頬を撫でジッと見つめている。
出て行くべきかそれとも彼女が去るまで隠れているべきか。
やはり今でもトラウマらしい。春花は恐怖で泣きそうだ。

「……お前」

暫く黙っていた幸だがゆっくりと口を開いた。
声が聞けて嬉しそうな長井。

「なに?なに?」
「何が。したい」
「幸君を連れて帰りたい。ボスだって幸君の事すごく気に入ってるから望めばすぐにでも
こっちにこれるよ。私にはわかる。本当はもっと別の事がしたいんでしょう?」
「べつ?」
「ウチに来ればその衝動を押さえなくてもいいよ。好きにしていい、解放していい。
初めて見た時から分かってた。貴方は暗い世界で生きてきた獣。血なまぐさい事がだいすきな」

旗から見ればイチャついているカップルだが、本当の所はわからない。
春花からは何を喋っているのか分からないから余計に不安になってしまう。
長井は幸を気に入っているのは知っている。もしかして口説いているのではと。
それに幸が乗ることはないと思うけれど。

「……どうしよう」

携帯で連絡して猪田に来てもらおうか。カバンを漁って携帯を見つめる。
そして再び視線を2人に向けた。まだくっ付いたまま何か喋っている。
どうしよう。ここは幸を信じて見守っていたほうがいいだろうか。それとも。

「……」
「ね。幸君。もう無理しなくていいよ」
「……」
「解放して。自由になろう。私と一緒に」

長井が幸の頬に触れそのままキスをしようと顔を近づける。
幸は何もしない。敢えてしないのか何が起こるのかわからないからか。
どちらにしろこのままではいけない気がして。

「あ、あの!」

怖いくせに彼らの前に出て行った。

「姉ちゃん」
「あら。余分なのまで一緒だった」

長井は邪魔されて不満げに幸から離れる。
幸はいっきに表情を緩め春花の元に来た。それにも不満げな顔。

「こ、幸さんと待ち合わせをしていたので。あの、…もう、いいですか」
「貴方には彼を扱えない」
「扱うって分かりません。幸さんをどうしたいんですか」
「自然に帰してあげるの。あの男の所為で無理に人間らしくさせられてるけど。
でも、そのお陰で多少使い勝手がよくなったみたい。そこは評価すべきかな」
「意味が分かりません。そんな事を平気で言える貴方の方が人じゃないみたい」
「生ぬるい綺麗ごとで生きてるあんたには分からないでしょうね。私たちの事は」

つまらなそうに言う彼女に春花は何も言えず黙った。
長井がどんな人生をおくってきたのか自分には想像もつかないけれど、
嘘の笑顔に隠された鋭い性格にまるで物のように幸のことを言うのだから
平坦なものだったとは思えない。
社長の事だけでなくここでもまた自分はよそ者のような疎外感を覚える。

「……」
「ほらすぐ黙っちゃう。ツマンナイ女」
「僕には彼女が羨ましいと聞こえるな」
「あんた誰だっけ?」

しらけてしまった空気に再び緊張感が戻る。別の方向から歩いてきたのは貴也だ。
彼1人ではないがお供の者はかなり後ろにいる。長井は訝しげな顔をして彼の顔を見た。
貴也は睨みにも動じる様子は無く、春花にも長井に対しても普通に挨拶をした。

「貴也さん」
「ああ。篠乃塚の坊ちゃまだっけ。何か用?分かったようなこと言っちゃって」
「分かったようなも何も見たら直ぐに分かる。君は自分が手に入れられないものを
彼女が持っているのが羨ましいから意地悪をしている。ただそれだけの事だ」
「はあ?」

長井は視線を春花から貴也に向ける。
何が面白いのか笑っている彼になお更苛立っているようだ。
初めてみせる顔。春花には彼女が本気で怒っているように見える。

「話は終わったようだから2人は此方で引き取らせていただく」
「ちょっと待ってよ。幸君の答えをまだ」
「ケーキ?」
「は、はい。そうです。帰って食べましょう」
「うん」
「この様子だと君の望むような答えは聞けそうに無いな」

そう言ってまた笑う貴也に悪態をついて何処かへ去っていく長井。
気にせず春花と幸を連れて車に乗せる。置きっぱなしの自転車を思い出した春花は
すぐに降りようとしたがそれは部下が運ぶといって戻された。
あれは凄く高いのに、とは貴也を前にして言えなかった。

「あの、…ありがとうございます」
「いや、僕が来なくても君に危害が及ぶことは無かったろう」
「え?」

貴也の視線は春花のかわりにケーキを持っている幸へ。

「この男は篠乃塚でも扱い難い存在だ。兄さんでなければ抑えることは出来なかった」
「貴也さんまでそんな」
「それをいとも簡単に手懐ける貴方が怖い」
「わ、私は別になにも」
「是非篠乃塚の嫁にほしいくらい」
「…え?え?」

春花は堅気だからと今まで兄と引き離そうとしていたのに。
今彼が言った事はそれと正反対の事だ。認めてくれた、という事?
驚いて貴也を見る。春花の反応が面白かったのかまた少し笑っていた。

「失礼」
「いえ。……あの、…お父さんが退院なさるとか」
「もう聞きましたか。ええ、医者の許可を得て自宅で休養する事になったので」
「どういう、方ですか?怖い?」
「気になりますか」
「少し」

本当は物凄く気になるけど。あまりがっついてはいけない気がして。

「少々ワンマンな所はありますが組長としても経営者としても手腕は相当なものです。何より
不義理を嫌い何事にも真正面から立ち向かう偉大な人だ。少々酒と博打と女に弱いですが」
「凄い方なんですね」
「篠乃塚家の当主ですから。その重責を担うに相応しい」

そんな人物に睨まれたら果たして自分は無事でいられるのだろうか。
何も悪いことはしていないつもりでも交際自体を反対されたら。
志賀のあのニヤっとした顔が浮かぶ。確かに、逃げたほうがいいのかも。

「……」
「何か気になる事でも?」
「いえ。…あの、…少し驚いて」
「聞くだけでは怖いでしょうが実際会えば気さくな人ですよ」
「…はあ」

それは貴也が息子だからじゃないかとちょっと思ってみたりもする。
車はビルの駐車場につき幸と2人で降りる。
自転車が気になるが慎重に運ばせるからと言われとりあえず中へ。
貴也はまだ忙しいからと去って行った。

「幸さん、もし社長のお父さんが怖い人で怒ってきて叩かれそうになったら助けてくれます?」
「姉ちゃん。守る。怪我。させない」
「ありがとうございます」

階段をあがりながらため息。幸が居てくれれば安心できる。
出来れば会いたくない。どうにかするようなことを小田は言っていたが。
よく分からない。部屋に戻って3人でケーキを食べよう。

「おう。お帰り!」
「……」

ドアを開けるとすぐに陽気な声。そして笑顔。

「何だ元気がねえな。ほら!よう!」
「社長、少し見ないうちにかなり老けましたね」

何時の間に着替えたのか着物に羽織りに姿。そんな粋な格好して
彼は何処へ行っていたのだろう。明菜ちゃんの所?
猪田は居ない。春花はケーキを冷蔵庫へ運んでと幸に頼んだ。

「老けてない老けてない」
「そう、ですか?」

髪の毛は黒いけど顔は老けているような。でも社長の顔。
マジマジと見つめていると恥かしそうにして何故か春花の手を握る。
大きな手は変わりないが何故か撫でるように触ってくるのが気になる。

「若い手だ」
「嫌味ですか?」
「本気だ。俺は嘘は言わない。よく見りゃ中々可愛い」
「社長どうしたんですか?何か何時もと様子が」
「そんな事は無いぞ。よし、記念に軽く口付けでも」
「え?記念?」

ちょっと待ってくださいと言おうにも前かがみで抱きしめようとしてきて。
これは不味い状況ではないかと焦り始める。何があったかわからないが
今の社長は何かヘン。おかしい。絶対ヘン。


「で?襲われてると思って幸がぶっ飛ばしたと」
「すいません私の所為で」
「調子のったあいつが悪いからそこはいい。問題はお前」

キスされそうになったのを助けてくれたのは幸だった。
気が付いたら社長は地面に倒れていて気絶していて動かない。
安心したと思ったら買い物袋を持って帰ってきた社長。あれ?

「なんですか」
「なんですかじゃねえだろ!あんな爺さんと俺を間違うか普通!」
「でも親子なんですから間違えても仕方ないです」
「アホか!」

何時もの格好をしている社長は事情を聞いて青筋を立てたが
とりあえず幸に倒れたニセ社長こと父親を空いた部屋のベッドに運ばせた。
春花はやっと確信を持ってこちらが本物だと気づいたようだ。

「そんな怒鳴らなくても」
「お前の目はどうなってんだよ!見せてみろ!中身ガラスか!」

大激怒する気持ちも分かるけれど本当に似ていて。老けているとは思ったけど
最近目も悪くなってきたし疲れているからその所為かもと思って。
グチグチと言い訳を頭の中で繰り返すが何を言っても無駄な気がして黙る。

「酷いです」
「いいから見せてみろ」

泣きそうになっている春花の正面に来て彼女の顎を軽く手で押し上げる。
じっと春花の目を見て。そのままキスした。やはり本物だ。
事前にキスするなんて何も言われなかったけれど体は拒まなかった。

「お父さん来ちゃいましたね」
「あの野朗来るなら来るって言え」
「どうしよう」
「何かされたか」
「私、…もう駄目、かも」

思っていたよりも柔軟そうな人だったけれど。
でもまだ分からない。これから危ないのかもしれない。
落ち込んだ様子で視線をそらす春花に社長は立ち上がり。

「あの野朗」
「社長!」

そのまま父親が居る部屋へ走っていく。
行きたくはないけれど放っておけなくて春花も続いた。
こんな時猪田や小田が居てくれたら。と思いながら。
途中部屋から戻る途中の幸と会う。彼も居てくれた方がいい。

「テメエ!人の女に何してくれてんだ!」
「いたたたた…父親を殺す気か」
「ああ死ね!いっそ死ね!この死に損ないが!」
「ンだとテメエこら!親に向かって!」

ドアを開けると既に取っ組み合いの喧嘩中。

「やっぱり似てますよね」
「クリソツ」
「あ。それちょっと古いですよ幸さん…なんて言ってる場合じゃない」
「止める?」
「でもどうしよう。どうしたら止まってくれるのか」
「…落とす」
「え?」

幸の居た場所を見ると彼は既にそこには居らず、
もしかしてと思って視線を取っ組み合いの喧嘩をしていた2人の方へ向けると
バタバタと倒れる親子。立っているのは幸のみという凄い場面だった。
今の間に気絶させたらしい。幸と2人で親子をベッドに仲良く寝かせる。

「ケーキ」
「もう少し待ってください、マリーさんが戻ってくるまで」

ソファに座る春花。心の準備も何もないままに社長の父親に会ってしまった。
たぶん誰も彼がここに来るなんて事は知らなかっただろう。さっきまで一緒だった
貴也もそんなそぶりもなく何も言ってなかった。社長も素で驚いていた。

「俺。獣?」
「そんな事はありません、皆と一緒。人です」

幸はその隣に座り春花の膝を枕に寝転ぶ。

「姉ちゃんと。いっしょ」
「はい」
「ずっと。いっしょ」

心地良さそうにしている幸の頭を優しくなでる。
春花もなんだか眠くなって来た。心地いい空間。

「はるかちゃん!はるかちゃん!」
「あ。はい。お帰りなさいマリーさん」
「ただいま。で!親父さんは!」

眠りに落ちる間際部屋に入ってきた猪田。
その爆音に春花の目は覚めた。
場所を教えるとまた音を立てて部屋を出て行く。
また静かになり眠くなる春花だが

「お嬢さん!」
「…あ。小田さん」

次は小田が慌てた様子で入ってきた。

「親父さんは!」

同じ質問をされたので同じ返事をすると猪田と同じように走り去る。
忙しい人たち。


「俺が何もしらないと思ったのかい猪田」
「すいません自分が」
「坊主は黙ってな。まあ、どうせアレが吹き込んだんだろうが。
この俺を謀ろうなんて一億光年早いってわけよ。馬鹿者め」

キセルを吹かせソファに座る父親。春花と幸は台所に避難する。
初めから彼には何もかも分かっていて、社長にも露見し
小田と猪田はただふかく頭を下げるばかりだ。

「すいません若」
「この落とし前は」
「俺は何も怒ってねえよ。お前らは悪くない。悪いのはこのクソ爺。
あいつの視点になって考えてくれたんだ。例を言う」
「そんな」

遥は父親を睨みつける。彼はそ知らぬ顔をしているが。
退院すると聞いた時から何かあるとは薄々思っていた。
それがまさか彼女を見たいがためだったなんて。呆れる。

「中々いい女じゃねえか。何を躊躇ってやがる、モノにしちまえ」
「あんたには関係ねえ」
「あの感じだと処女だな。100万かけるぜ」
「寝すぎて脳みそが腐ってるだろ。おい猪、貴也…いや、婆に電話しろ」
「はい」

席を立つ小田。遥はまだ不機嫌そうに睨んでいる。
それを面白そうに笑う父。

「お前は家に戻れ。ここは他のもんに継がせりゃいい、女も好きにすりゃいい」
「俺は家には戻らねえ。テメエの後は貴也が継ぐ」
「あいつに継がせるのは構わんがしっかり一本立ちするまでには強い補佐が必要だ」
「だーかーらーテメエがやれ。テメエが」
「人を指差すな。ガキの頃に教えたろうが」
「あんたに教わったのはメンチの切り方喧嘩の仕方に銃の扱い」
「いいや。他にもちゃんと教えたぞ。親を大事にしろともな!」
「教えてねーからこうなんだろ。馬鹿かテメエ」

聞き耳を立てるつもりはないのだがあまりにも大きな声で聞こえてしまう。
正直、子どもみたいな喧嘩だ。春花は父親に抱いていたイメージが崩れていく。
泣くほど怖い鬼の組長よりはいいのかもしれないけれど。威厳さえも消えそうで。
褒め称えていた貴也には悪いけれど。

「はるかちゃんお茶淹れてもらえる?」
「はい」
「ごめんね。あと、聞いてたと思うけど」
「私も社長と同じ気持ちです。ありがとうございます」
「小田ちゃんも私も、今のままが一番いいと思ってる。それを壊したくなかった」

お茶の準備をしながら春花は笑みを見せる。
隠れて別の女を用意しようとしていたのは驚いたけれど、すべては自分の為。
志賀の言葉がなければ、父親がいきなりここに現れなければ平穏に終わっていた。
色々と順序が崩れてしまったけれど結果は悪くなかったからよしとしよう。

「とにかく明日また家に来い。退院祝いだ」
「もうここでよくねえか」
「いいから。そこで色々と話したいことがある、あの連中の事もな」
「……」
「じゃあ、俺は帰る。あいつが来たら殺される」
「楽に逝け」
「うるさい。最後にもういっかい春花ちゃんと抱擁を交わそう」
「二度とあいつに触れるんじゃねえ撃ち殺すぞコラ」
「若おちついて!発砲は不味いです!」

最後まで喧嘩しっぱなしだったけれどどうにか落ち着いたようで
小田に連れられて父親は去って行った。まさに嵐のような人。
僅差で姐さんも駆け込んできたが夫が居ないと知ってまた走り去る。
その怒りの形相は遥曰く山姥も泣いて逃げ出す顔だったそうだ。


「美味しいわねこのケーキ。例の彼が作ったんですって?」
「はい。凄いですよね」
「負けてられないわねはるかちゃん」
「もちろんです」

少し遅れたがやっと3時のおやつタイム。ケーキは3つ。
遥は少し離れた所でコーヒーを飲みながら見ているだけ。
馬宮が作ったケーキと聞いて少し不機嫌そう。そしてさりげなく幸に近づく。

「やる気出てきたみたいで良かった。…若?」
「あのガキ始末してこい」
「わかった」
「何を物騒な事言ってるんですか!幸ちゃんも!」



つづく

2010/05/07

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