めまい


ひどく退屈な午後。少し前まではそんな事なかったのに。
このモヤモヤとした気持ちを態度にも言葉にも出来ないもどかしさを我慢できず
猪田に出かけるとだけ言ってビルを抜け出した幸。
当てもなく街を歩いていると黒塗りの乗用車から見た事のある男が顔を出した。
幸はそれをチラっとだけ見て無視を決め込む。


「……あれが。…中々綺麗な顔をしているな」

その奥からまた別の男。否。男装している女だ。
幸はそれもチラっと確認だけして無視を決めさっさと歩く。
車は少し先を走り路肩に止った。

「……」
「お前と少し話をしたい。悪いようにはしないから付き合わないか」

車から降りてきたのは黒蜂のボス。顔を覚えておけと写真を遥から貰って知っている。
男の方は忘れるわけがない姉ちゃんを浚っていった奴。今は手を結んでいるらしいから
指示が出るまでは下手な事はするなと言われている。

「無理にとは言わないが」
「……何も。…話す事。…ない」
「あまり言葉が得意ではないようだな。構わない、私も日本語を覚えるのに時間がかかった」
「……」

ついに立ち止まる幸。長身でシャープなシルエットのボス。
ダークスーツにコートという凛とした姿に街行く者たちは、特に女性は釘付けのようで。
視線を存分に向けられている。いい気分はしない。早く何処かへ行って欲しい。
話があるならさっさと終われ。そんな意味合いもこめて。

「お茶でも飲もう、名前は?私は瑞香」
「……幸」
「いい名前だ」

だが瑞香は去る気はないらしく何処か店に行こうと歩き出した。
車内から此方を見ている男の視線に気をつけながらも幸も歩き出す。
警戒はもちろんしている。だが瑞香が隣を歩くことに文句は言わなかった。

「……」
「お前の腕は部下から聞いている。あいつらを一撃で仕留めるなんてそう出来るもんじゃない。
雇いたい組織は幾らでもあるだろうに。篠乃塚に恩義でもあるのか?」
「……」
「無粋な質問だったな。許して欲しい」

瑞香はチラっと隣を歩く青年を見る。未だに何の反応も見せない。
これが主人に飼いならされた犬というものか。日本の極道というものには似合わない風貌。
そして今は下着屋の店員。最初は冗談かと思った。
あまりにも世界が違う。これもなにか意味が、裏があるのだろうか。
興味をそそられる人物ではあるが彼からの返事は期待できそうにない。

「……」
「歳は幾つだ?20か?それとももっと上か?」
「19」

幸は返事をしながら考える。茶でもと言われたから店に入るのだろうか。
あの男も一緒に?だったら断わりたいのだが。タイミングが分からない。
話す事もなくなり沈黙していた所に猪田に持っていけといわれた携帯が
ブルブルと震えた。道の隅に移動して携帯をとる。

『幸さん今いいですか』
「うん」

相手は春花だった。幸の声のテンションが微量に上がる。

『試作品28号を作ろうと思うんですけど材料が切れちゃって』
「何?俺。買ってくる」
『ありがとうございます。でも、私が頼みたいのはお使いじゃなくて、
一緒にお店に行って選んでもらいたいんです。マリーさんお出かけ中だし。
社長は端から当てにしてませんし、幸さんだけなんです。…勝手ですが』
「うん。行く。…待ち合わせ」

携帯をポケットに戻すと来た道を引き返す。
行きとは違って何処か生き生きとした表情で。

「女か?」
「……」
「清十郎といいお前といい、どうしてこう気に入った男ほどそっぽを向かれるのか」
「お前。…目的、何だ」
「せっかく日本に来たんだ、少しくらい羽を伸ばしてもいいだろう」
「殿サマの邪魔、するな。お前ら敵。容赦、しない」
「若いのにいい目つきだ。怜が惚れるのも無理ない、じゃあまたな。幸」

邪魔はしないよと瑞香は笑って待っていた車に乗り込んだ。
幸は無視をしてさっさとその場を去る。結局顔を見ただけで特に何を話したという訳ではない。
変な時間だと幸は思ったけれど、瑞香は終始満足げな顔をしていた。

「宜しいんですか」
「怜があまりにも悔しがるからな、間近で見てみたかっただけだ。本当に惜しい」
「貴方様が望むなら」
「お前は暫く何もするな。怜と大人しくしていろ」
「…はい」
「それに今は別の問題がある」

幸の後姿をチラっと見て男は車を出させた。



「幸さん早いですね。あ。もしかして近くに居たとか?」
「うん」
「そっか。…良かった。強引に呼び出したりしてごめんなさい」
「いい。店。行く」
「はい」

早足で待ち合わせた場所へ向かうとそこには既に春花の姿。
合流しよく利用するお店へと他愛も無い会話をしながら歩き始める。
最近は忙しくてあまり話が出来ていないとお互いに思っていたからか
普段よりもテンション高めに、そして途切れることなく話は続いた。

「姉ちゃん」
「はい」
「殿サマ。は?」

確かずっとビルに居たはずだ。そして2人で楽しそうに話をしていた。
少なくとも幸が外に出るまでは。

「社長でしたら新商品を買い付けに行くとかで出かけました。
妙に乗り気だったからたぶん社長好みの下着が入荷されたんでしょうね」
「…そう」
「それは結構なんですけど。また変な玩具押し付けられそうで」

困った人ですよねとため息をする春花の頬が少し赤かった。
何て会話をしているうちに店に到着して、カゴを幸が持ち製菓コーナーへと向かう。
コンクールに向けて今まで以上に真剣に積極的に菓子と向きあう春花。
学校では他の生徒も同じように真剣に資料を見ていたり先生に相談していたり。
日が近づけばさらにピリピリするんだろうなと覚悟を決めた。

「姉ちゃん」
「はい」
「クッキー。食べたい」
「今日のおやつはクッキーにしましょうか」
「うん」

足りなかった材料を補充してついでに他の物も買って店を出る。
ちょっと買い足しのつもりが結構な荷物。幸が全部持ってくれた。
申し訳ないと思いつつ、何処か彼が嬉しそうな表情に見えるのは
春花の気のせいだろうか。


「まだマリーさんも社長も戻ってないみたいですね」
「つーーか何それ」

部屋に入ると志賀の姿。まるでネグリジェみたいなヒラヒラのワンピースにヒールの靴で
アンテナの伸びた手のひらサイズの機械を持って部屋をウロウロしていた。
ラジコンでもしてるんですかと聞いたらソファにあったクッションを投げつけられる。
いきなりでビックリしたけれどクッションは幸が手で弾き飛ばしてくれて無事だった。

「お菓子の材料です」
「若を殺すつもり?甘いものダメだって知ってる癖に」
「昨日はマドレーヌ食べてくれましたけど」
「口に押し込んだら誰でも食うわ!」

誰も止めるものが居ないからか何時にもましてぎゃあぎゃあと騒ぐ志賀。
春花は特に気にせず買ってきたものを棚に収納し幸にお茶を渡して自分も同じものを飲む。
バンビさんも如何ですかと聞いたら余計逆上して殴りかかってきたので
幸が首を掴んでそのまま地面に1本背負い。やっと静かになる室内。

「これなんでしょうね」
「……」

のびている志賀の傍に彼が持っていた小さな装置を見つける。
触るのは悪いと思い見るだけ。
ラジコンのコントローラーかと思ったがよく見たら全然違った。
となると何をしていたのかますます気になる。
聞こうにもまだ倒れているし答えてくれるかも怪しいけれど。

「美顔機…じゃあないですよね。アンテナなんて要らないし」
「……」
「あ。ダメですよ。勝手に触っちゃ」
「……これ。…探知機」

幸が何気なくそれを手に取り机に置く。
探知機と言われたがいったい何を探知しようとしていたのか。
キョロキョロと部屋を見渡すが特に変わったことは無いと思う。
不思議に思いながらもソファに座ると幸もその隣に座った。
傍ではまだ志賀が倒れたままで放置されている。

「幸さん?」
「……」

春花の問いには答えず彼女の膝を枕にして寝る幸。

「もう少ししたら開始しますから、良かったら手伝ってください」
「……うん」

頭をなでてやると嬉しそうに擦り寄ってくる。
なんだか自分まで眠くなりそう。でも試作品を作らないと。
頭では分かっているのにウトウトする春花。
もうこのまま寝てもいいか。日にちもまだあるし。何て甘い誘惑が。

「ふふふ、このクソアマがぁっ…」

すっかり和やかな空気になっている所へ起き上がる志賀。
伸びていたのは嘘で実は油断するのを待って倒れたフリをしていた。
おかげで何時もは幸が居て手出し出来なかったが今は2人とも眠っている。
どうしてくれようかと春花を前に指をポキポキ。若に愛想をつかれるように
酷い顔にしてやろうか、それともお菓子を作れないようにしてやろうか。
その顔はまさに外道。声を殺してそっと寝ている春花に手を伸ばしたら。

「……」
「あ、あれ」

阻むように物凄い強い力でその手を掴まれる。
折れそうなくらいの力。逃げようとしてもビクともしない。

「若の女に何しようってんですか」
「お、小田っ」

伸びた手の先を見れば何故か小田の姿。彼が比較的大人しいのと歳下という事もあって
普段はかなり格下に見ている志賀だが本気で睨まれて震えるほどビビった。
手をひっこめるから離してくださいと素になって謝ってやっと解放される。

「この人になんかしようってなら、若の敵と見なしぶっ殺しますから。気をつけてください」
「お、お前さらっと何て凶暴な事を言うんだよっ」
「寝てる女に手ぇ出そうって野朗の方が凶暴でしょう。それとも若に報告しましょうか」
「い、いや。それは困るのでやめてくださいまし」

小田の真面目な顔して怖い発言に引きつった笑みを見せる志賀。
何も知らないでのんびり睡眠中の春花。そして幸。

「これは」
「ああ。一応また仕掛けられてないかチェックしてたんだけど」
「連中の腹が知れないのに警戒するしかないってのは、歯がゆいもんですね」
「何でもいいからきっかけを作ってボコってやりゃいいんじゃないの?」
「そんな格好悪い事をあの爺がするかよ」
「若」

小田と志賀が振り返ると小さい箱を持った遥。
面倒そうに挨拶をしてあいているソファに座る。
気持ち良さそうに寝ている2人を起こさないように。

「お帰りなさい若」
「何だテメエ。今日は来なくていい日だろうが」
「いい加減ここに住まわせてくださいよ。部屋いっぱい空いてるんだし」
「おい、煙草かって来い」
「はい」
「お前じゃねえ、ゾンビ。テメエだ」
「ゾンビじゃないんです。バンビなんですぅ」
「でかい声出すな起きるだろうが。ほら行け」

追い出されるように、というか実質追い出された志賀。
それでも遥に命令してもらえた事が嬉しいようで出て行った。
それを見計らってダルそうにため息。

「それで、若。用件はなんでしょうか」
「おお。悪いけどお前に頼みがあるんだ」
「何でしょうか」

小田がここに来たのは遥からここへ来るようにと連絡を貰ったから。
もしかしたらこの一連の騒動について動き出したのかと思ったのだが、
そうではないのだと直ぐに察した。
あまりにも若の顔がだらしなく鼻の下が伸びっぱなしだから。

「…美由紀ちゃんっていうホステスがさ、すげえ色っぽい訳だ」
「若、そんな話をお嬢さんの前でするのは」
「あんまりにも激しいのはイヤだって言うから」
「は?」

何の話かさっぱり分からない。
まさかノロケ話を聞かせる為によんだのではないだろうな。
何となくそんな嫌な予感がしてきた小田。ちょっと帰りたいかも。

「お前まだ女いねえだろ。美由紀ちゃん口説いてさ、モデルなってくれねーかなーって」
「お断りします」
「そうだよなあ。お前そうだよなあ」
「分かっているならどうして」
「今回はちょっと多めに仕入れたからお前に運ぶの手伝わせようと思って」
「先に言ってもらえれば若いもんを何人か」
「ヤクザもんがぞろぞろ入っていったら周りの住民がビビるだろうが」
「……若がそれを言いますか」

ちょっと呆れつつ若の言う事ももっともだと思い了承する。
幸を起こして3人でやれば夕方までにはなんとかいけるだろうと。
膝枕で眠るのを羨ましそうに睨んでいる遥。

「…う。……煙草臭い」
「俺は煙草か」
「…社長。帰ってたんですか」
「ああ。悪いが幸を連れて行くぞ」

眠っている春花に近づいたら眉をしかめ目を覚ました。
確かにさっきまで煙草を吸っていたけれど。そこまで匂うとは思わなかった。
幸を起こし先に小田と共に倉庫へ行かせる。残った春花も手伝おうと立ち上がる。

「私も」
「お前さんは試作品があるんだろ。そっち行け」
「何時も無理に食べてもらってすみません」
「ンなもん気にすんな」
「……清十郎さん」

珍しく自分から甘えるように遥に抱きつく。
彼女からの行動に少々戸惑いながらもそっと抱き返そうと手を伸ばしたら。

「何だ」
「やっぱり臭い」

あっさり離れていった。つくづく分からない女だ。
そんなに臭いものかと自分の上着の匂いを嗅いでみたが
慣れてしまっているからか此方もよくわからない。
台所へ行ってしまった彼女。仕方なく自分は倉庫へと向かった。


「おい何やってんだ早く箱あけろ」
「若。あの。これ」
「おお。どうだいいだろ」
「……」

黙々と仕事をする幸とは違い戸惑い気味に目を逸らす小田。
手伝いをするとは言ったが女性用の下着であることを忘れていた。
箱をあけてみて衝撃を受けたらしい。紐パンとかレースとかTバックとか。

「これなんかあいつに良いなあと思ったんだけどよ、恥かしいからイヤだって」
「……至極全うな意見だと思いますが」
「何でだよ」

若の手には明らかに下着としての機能を果たしていない真っ赤な布切れが。
そういう趣味を持っているならば楽しめるかもしれないが、
春花にそんな趣向があるようには。どちらかというと若の趣味だろう。
これなんかも良いだろと出してきたのは黒のガーター。どうしろと言うのか。

「……その、…自分は、こういうものをあまり扱った事がないので」
「だからさ。美由紀ちゃん紹介するって」
「勘弁してください」

確か男物も取り扱っていたはず。それなら出来るだろうとダンボールを探す。

「おい幸。これなんかどーだ」
「変態」
「……お前最近それしか言わねぇよな」

幸にも同じように声をかけた遥だったがあっさり無視。
これも姉ちゃんの教育の賜物と言う奴か。

「女。会った。敵の」
「……黒蜂か」
「名前。歳。答えた」
「逆ナンってやつか。お前もやるな」
「……」

茶化しながらも彼女たちが幸に接触してきた意味を考える。
情報を得るためか。幸を懐柔して裏切らせようとしていたのか。
どちらにしろ幸に聞いたとて何も情報などもっていないが。

「また来たら相手してやれ、何が狙いか探れるかもしれねえ」
「……」
「何だ不服か」
「……分かった」
「お。いいなその」
「変態」

倉庫に篭ってどれだけ時間が過ぎたのだろうか。いくらセクシーな下着を見ても
それを着てもらわないとつまらない。それも熟した女だったらもう完璧いう事なし。
なんて話をしたら幸に睨まれた。
小田は奥で何かごそごそしている。出来るだけ此方を見ないように。関わらないように。

「まあ。野朗が3人で大変ですね」
「あ?猪か。テメエも手伝え」
「私ははるかちゃんのお手伝いがありますから」
「じゃあとっとと消えろボケ」
「若たちの様子を見てきて欲しいって言われたから来たのに。
酷い扱いをうけたってはるかちゃんに言っちゃおう」
「クソはげ!」

冗談ですよと笑いながら去っていく猪田。春花と正式に付き合い始め
彼女に頭が上がらなくなっているのを見透かされている。それが無性に腹立たしい。
散々文句を言いながらも早く仕事を終わらせようと箱を開ける。
もちろん終わったら猪田に痛い制裁を加える気満々で。


「もう少しかかりそうね」
「そうですか。ありがとうございました」
「試作品はどう?」
「どれも美味しいんですけど、まだ提出出来るような代物じゃないような気がして。
翔さんが時々試作品を食べさせてくれたりするんですけど。それがまた」
「貴方にしか出来ないものってあるはずよ。だから、そんな顔しないの」
「はい」

台所に戻るとオーブンの様子を見ている春花がいた。
マンションの台所にはオーブンというものが無いのでよくここでお菓子を作る。
来てくれるようになって嬉しいのだが如何せん台所に篭りきり。
或いは遥と2人で楽しそうにしている。それは当然なのだろうが。

「あのさ、はるかちゃん」
「はい」
「その。…たまには幸ちゃんとも遊んであげてね」
「え」
「ああ見えて寂しがりやさんだから。少しでいいから」
「やっぱり、私の所為だったんですね。幸さんが出て行ったの」
「気づいてたの」

視線を落とす春花。

「幸さんって、もしかして」
「はるかちゃん」
「……社長の事、好きなんですか」

彼女の台詞が冗談ではない事はそのシリアスな表情からすぐに分かった。
猪田は言葉を失い返事が遅れて。それを肯定と受け取った春花。
そうですか…とまた複雑そうな表情になりため息。

「あ、あのね」
「いいんです。そういうのはもう慣れてますし」
「慣れちゃ駄目でしょう。それに幸ちゃんは別にそういう趣味はないから」
「じゃあ」
「はるかちゃんに構ってもらえないから拗ねちゃってたの」

猪田の言葉にビックリした顔をして自分を指差す。

「わたし」
「そう。あなた」
「えっと。じゃあ。どうしましょう」
「いっそあのガキとデキちまえ」

いつの間にか参加していた志賀。手には遥が注文した煙草。

「あらバンビちゃん居たの」
「ね?それで丸く収まるんじゃない?」
「どこが。棘だらけの泥沼になっちゃうじゃないのよ」
「じゃあ前にここ来た年下の小僧は?」
「彼が死んじゃうでしょう。確実に」
「じゃあ」
「それくらいにしないと若に怒られるわよ。ほら、煙草もってってあげて」
「はいはい」

猪田は殴ったりせず優しく宥めるように言い聞かせ志賀を追い出す。
これが遥や幸だったら血の雨が振るだろう。
それでも呆れたようにため息をして、ごめんねと謝ってきた。

「バンビさんって頭の回転が速いですよね。羨ましい」
「そう?…まあ、悪い方向で早いかもしれないわね」

春花は傷ついている様子もなく寧ろ感動さえしていた。
次々と新しいことを提案できる志賀が羨ましいらしい。
それが悪意に満ちているとは思っていないようで。
彼女らしいと思いながらこっちでも苦笑いの猪田。


「はい。あーん」
「あーん」

無事に焼き上がり冷ましたクッキーを幸の口に入れる。
美味しいと幸せそうに食べる彼に春花も笑顔だ。
男たちはまだ少し仕事が残っているが3時になったのでおやつ。
猪田の言葉もあって何時もより幸に優しく接している春花。

「おい。俺も」

そんな楽しそうな2人に遥も腰を浮かせてせがむ。

「はい。あーーー」
「やめろ」

春花より先に差し出した志賀の手を目一杯握る。それはもう骨を折るくらいの。
先ほど小田にもやられて痛んでいた手。2度目の衝撃に今まで聞いた事も無いような
すごい悲鳴をあげてのた打ち回る志賀。が、他の者は何時もの事として無視を決め込む。

「大丈夫ですか社長」
「1枚くらいいける」

俺も俺もと子どもみたいにせがまれ1枚とり社長の口に入れる。
甘さはだいぶ控えめにしているけれど無糖ではない。
案の定、食べてすぐに苦いコーヒーで流された。複雑な気持ち。

「そういえばこの小さい箱なんですか?」
「あ?そりゃ土産だよ」

またさりげなく復活している志賀が腕を庇いながら小さい箱を手に取る。
遥が戻ってきた時に持っていたものだ。
机のすみに置かれていて誰も手をつけていない。

「土産?あ。もしかして」
「テメーじゃねえ」
「わかってますよ。どうせこのアマ」
「あぁ?」
「か、彼女にでしょうよ…」

志賀は箱を押し付けるように春花に渡す。左右に小田と幸。
何かアクションを起こすには分が悪すぎだ。

「……困ります」

喜ぶかと思ったが春花は受け取るなり机に置いて顔を背ける。

「何でさ。若がアンタに土産なんて羨ましい」
「……バンビさんどうぞ」
「えー!聞いた?聞いた?この女若の厚意を踏みにじったよ!」

何て女だと1人騒ぐ志賀。他の者はそれに賛同も非難もない。
無視しているに近い。遥も特に怒っても無い。

「若、せめてもう少し可愛いのにしてあげたほうが」
「今回のは可愛いらしいぞ」
「……変態。ド変態」
「え?え?どういう意味なんですか若」

事情が分からない様子の志賀。
若は春花と何やら話をしていて此方には見向きもしない。
仕方ないので隣に座っている小田に聞いてみる事にした。
とはいえ、彼も視線を合わそうとしない。話したくないのか。

「よかったらバンビちゃん持っていく?」
「え。い、いいの!?」
「どうぞうどうぞ」

猪田から手渡された問題の小さな箱。
若が自分の女に買ってきた土産なのだからさぞかし良いものだろう。
財布だろうか。それともペンダント。ブローチ。色々想像してしまう。

「後から返せなんて言っても無駄だからね」
「言いませんから」

田舎ものはこれだから、と悪態をつきながらその場で包装紙を剥がし始めた。
家に帰ってからとも思ったが今すぐにこの感動を味わいたいと思ったから。
何故か視線を外す面々。見ているのは若だけ。

「……なんスかこれ」
「見てわかるだろ。野菜の形したバイ」
「こ、これのどこが可愛いんですか!社長!もう!」
「この前のご立派さんよりマシだろー」
「そういう問題じゃないです!マリーさんセクハラですよね!訴えられますよね!」
「そうねえ。1度捕まったほうがいいかしらねえ」

宝石もアクセサリーもなにもなく、ただ箱に野菜の形した卑猥な玩具。
顔を真っ赤にする春花。それを見て楽しそうに笑う若。
視線をそらし何も言えない小田に呆れる猪田と幸。
やっと春花が嫌がった理由が分かった。周囲が冷めていたのも。

「まあ俺のがご立派さんだし」
「幸さん!どうにかしてください!」
「了解」
「おいおい、軽いジョークだろう…がはっ」

幸のチョークスリーパーが鮮やかに決まる。
ここまでが何時もの流れというか、幸に痛い目にあわされると分かっていて
どうして毎度仕入れの度に卑猥なものを彼女に持ってくるのか。
恐らくは頬を赤らめたり恥かしがったりする顔をみたいだけなのだろうが。

「あの、このお菓子どうでしょうか」
「え?ああ。美味いです」
「遠慮なく正直に言ってあげて。はるかちゃんコンクールに応募するのよ」
「そうなんですか。…いや、自分には美味いとしか言えないです」
「ありがとうございます」

その間に小田にクッキーの味を聞いてみる。
甘いものが駄目だったり、何でも美味しいと言ってくれたり、
猪田はアドバイスをくれるけれど彼にばかり甘えるのも悪い。
それにたまには違う人の意見も聞きたいから。緊張するけれど。

「はっ。通りで安っぽい。100均で売ってそう。食感が雑。味も雑!見た目もダサい!」
「や、やっぱり」
「その割りに何枚も食べてない?バンビちゃん」
「腹が減ってて…つい…そ、それだけだから」

やはり厳しい感想を述べる志賀。
分かっていたけれど、たぶんそうなると思っていたけれど。
やはりボロクソに言われてしまうと傷つく。落ち込む。

「いきなり完成したらつまらないじゃないですか。人生かけて人様に菓子作るんだ。
今はまだ勉強中って事で、そう落ち込むことでもないと思いますよ」
「小田さん」
「そうね。小田ちゃんの言う通り。焦る事なんてないわ」
「ありがとうございます」

猪田に頭をなでられて嬉しそうに微笑む春花。
ちょっと泣きそうだったのだが持ち直した。本当にいい人たちだ。
小田の場合、本当に同い年なのかと確認したくなるくらい。

「甘やかしちゃって」

ひとり不満げな志賀。

「しょうがないじゃない。うちの姫さまだから」
「マリーさん、あの、…姫って歳じゃないです」

笑って答える猪田に恥かしそうに否定する春花。
結構作ったはずだったのにお菓子は綺麗サッパリ食べられた。
感想もおおむね美味しかったという事で。
身内の大いに甘い判定ではあるが嬉しいのには違いない。


「社長」
「ん」
「バンビさんアレ本当に持って帰ってくれましたね」
「ああ」
「……ど、…どうやって使うんでしょうね」

疲れたからと言って猪田に仕事を交代させ部屋に2人きり。
適当に目に付いた新聞を読んでいると春花がモジモジして。
頬をうっすらと赤らめつつ聞いてきた。
追い出されるようにここを出て行った志賀が持っていったあの箱。
どれだけ綺麗に着飾っても体は男なのに。どうするのか。

「嫁にでも使うんだろ」
「あ。そっか。奥さ…いるんですか!?」
「ああ」
「ええええええ!?」

嘘。ほんとに。信じられない。

「そんな驚くことか?まあ、変態ではあるが立派に野朗だぞあいつは」
「てっきり社長が好きなんだと」
「気色悪いこと言うな。…まあ、付きまとわれてはいるが」
「…あの、奥様はどういう」
「さあ。猪から聞いた話だからな、会った事はねーよ」

どうしても奥さんのシルエットが浮かんでこない。
社長みたいなガタイのいい男らしい人とか。マッチョとか。強面とか。
どうしてもソッチ系に意識がそれていく。
そもそも常日頃から女装している男性とどう出会い交際し結婚を、ああ混乱する。

「……驚きました」
「だろうな。お前さん今すげえ顔してる」
「マリーさんにはダーリンさんが居るし。ま、まさか幸さんも結婚」
「さあな。でも、してないと思うぞ。あいつを引き取ったのが5年前だから。
流石に14歳で結婚もクソもねえだろう」
「14歳」

どんな少年だったのだろう。今でも十分綺麗な顔立ちだから
もっと幼げで可愛かったのかもしれない。それはそれで見たいかも。
とはいっても写真なんてないだろうが。

「お前さんが想像するような可愛いものなんかねえよ」
「え」
「なあ、お前さんの14歳はどんなだ?」
「私のですか。まあ、普通に」
「だろうな。そんな感じする」

バカにしたような笑い声。ムカっとする春花。

「普通に勉強に部活に恋愛に忙しかったです」
「ほーーーーーぉ。恋愛ねえ。是非聞かせてもらおうじゃねえの」
「疑ってますねそのバカにした目」
「何処まで行ったんだ?キスか?それとももっと先か」
「笑いながら言わないでください。……わ、私だって」

手を繋ぐくらい、と言おうとしたら口を塞がれた。煙草臭いキスで。
こんな時は振り払おうとしても無理。無意味。
春花は早々と抵抗を諦め手を伸ばし彼を抱きしめる。

「俺はモテて困ってたなあ」
「主に男でしょう」
「何でそうなる」
「社長は何時までも何処までも社長なんじゃないかと思ったので」
「お前さんの中の俺はどういう生き物なんだよ」
「こういう」
「……」

真顔で指差す彼女にもう何も返事できなかった。



つづく

2010/02/28

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