沈丁花

第1章 /  第15話 






 悪いことはしてないはずなのに、今の姿を見られたくないと思うのは何故だろう。
 何処かで疚しい気持ちがあるんだろうか。

「はるかちゃん」
「……え。あ。はい」
「調子よくない?お酒なんて飲んじゃったから気分悪くなった?」
「……そうみたいです、あの、私先に車に戻ってます」
「そう。じゃあ、私と若で片づけをするから。幸ちゃん、彼女をお願い」
「えー。俺が行く」
「若は駄目。そんだけ酔っ払ってるんですから、余計危ない」

 思わず俯いてしまった春花。怖くて、嫌な汗がいっぱい出て。皆に嘘は付きたく
なかったけど、でもそれでもここに残れるなら。簡単な片づけを手伝ってから
幸と一緒に公園をおりて駐車場へ向かう。その間も絶えず背後を気にして、
 野崎がこっちを見て居ないかハラハラしながら確認をした。

 大丈夫。バレてない。やっとの事で車に乗り込むと深いため息。
 幸は運転席に座って、春花は後ろ。

「……」
「幸さん、ごめんなさい。まだ桜みたかったですよね」
「……」
「社長もマリーさんももっと楽しみたかったはずなのに。あああ、もう。何で」

 自分なんかの所為で。悔しい。申し訳ない。

「……泣くな」
「すいません…、でも、申し訳なくて」
「……あの男」
「え」
「……消えれば。楽。か」
「幸さん」
「もう。泣かない。か?」

 運転席に座って何時でも出発できる体勢のまま、静かに幸は言った。
彼が何を言いたいのかわからなくて、でも、自分を気遣ってくれている
 のだと思うから。もう泣くのをやめて気持ちを落ち着けてから返事をする。

「楽かもしれない。昔はそんな事何度も考えたけど、でも、それじゃ
解決にはならないから」
「……」
「何て頭では分かってるんですけど、実行するのは難しいですよね」
「……」
「ありがとうございます、幸さんに話したら少し楽になりました」
「……」
「マリーさん大丈夫かな。社長結構酔っ払ってたみたいだし」
「……心配ない」

 春花が微笑むと幸は何も言わなかったけれど、止まっていた空気が流れ始める。
何だか恥かしくて何か話題はないものかと考えをめぐらせるが、
共通の話題なんてないしまだ遥たちは来ない。
 車内をキョロキョロ見回して豪華なカーステレオが目に付いて音楽でも聴いて場を
和まそうと提案する。
 遥がどんな曲を聴くかは分からないけど。この際演歌とかでも嫌いではないし。
 場が保てればいいとしよう。

「そうですよね。あ。そうだ。何か音楽聴きませんか?それCDじゃないですか?」
「DVD」
「え。すごい!DVDも観れるんだ!観ましょう!あ。勝手に観たら怒られますよね」
「どれ。いい」
「え。いいんですか?」

 幸がボタンを押すと機械音がしてなんとテレビ画面が勝手に出てきた。
なんてハイテク。感動していると幸が箱を差し出す。あけてみると色んなジャンル
の映画タイトル。あの遥が真面目な戦争ものや泣ける感動もの、
 可愛い動物ものまで置いてあって驚いた。意外にも映画が好きなんだろか。
 ここは気分を明るくする為にコメディを選ぶ。最近発売されたばかりの作品。

「前。来る?」
「あ。そうですね!せっかく新作映画ですから」

 セッティングを終えてさあ再生!という所で幸が尋ねる。実は観たかった映画で、
でもお金が無くていけなかった。DVD化しているなんて知らなかったけど、
これも神様がくれた幸運といそいそと助手席に乗り換える。無事着席すると
 ワクワクしながら再生ボタンを押した。

『あ…あぁー…堪忍やー…あぁああ…ぁ…』

 とても言葉には表せないとにかくコメディじゃないのが出てきた。

「……」
「あ。そ、そうか。これ新作案内ですよ。は、早送りしましょう!本編はこの後です」
「……」

いくらかスキップして再生。

『あー…いってまうー…いってまうー!あー!』

 やっぱりこれが本編か。

「すいません私がはしゃいだ所為で」
「……消す」
「是非記憶からも…消してください」

 幸は静かにDVDを取ってコメディのケースに戻し、春花は固まって動けず。
ただ重い沈黙が流れる。画面には着物姿の熟女が縄で縛られて悶えているという
マニアックすぎる映像。しかもモザイク無しの無修正と来た。
 嘘っぽい大阪弁。あれが流行りなんだろうか。

 それよりもあの様々なタイトルのDVDたち全部もしかしてそういう?

「……」
「……」

 こんな時に限って誰も入って来ない。周囲にも人が居ない。ついさっきまでは車を
とめる人やそれを誘導する人が居たのに。休憩中なのか客の切れ目なのか。
ただいま人はこの車に乗ってる男と女だけ。なんて気まずい。
 今平静を装って後ろに移動するにしても変に思われないだろうか。
でも。どうする。
 はやく帰ってきてと願いながら後ろを見るがやっぱり誰も居ない。

「……何か」
「え」
「飲むもの。買う。いるか」
「わ、私も。はい、欲しいです。買って来ましょうか」
「いい。……俺。行く」
「は、はい。えっと、あの、水…じゃない、お茶」
「わかった」

 いたたまれないのは彼も一緒だったのか、エンジンを切って幸は車から出て行った。
今のうちにと春花も車から出る。後ろに乗り換える為に。
その前に、外の空気を吸い込んで大きく伸びをする。何もみなかったことにしよう。
 そう、何も観てない。記憶から消し去ってしまえ。

「春花」

 嘘だ。嘘でしょ?嘘っていって。冗談であって。

「……野崎君」
「春花、何やってるんだ」

 何でさっきまで公園に居た野崎が目の前に居る?

 彼の手には500mlのミネラルウォーターが多数。もしかして自販機でこれを買う為に
おりてきていたのだろうか。そういえば公園には無かった。でもなんで。
見られないようにする為に逃げてきたのに、逃げた先で出くわしてしまうなんて。
 神さまの馬鹿。

「人の車に近寄ると通報されるぞ」
「そう、だね。何か、かっこよくてつい。……花見?」
「ああ。先輩たちに誘われて。春花も来ないか?それとも誰か友人と?」
「うん。そう」
「そうか。もう友達できたのか。それともこっちに出てきた奴らと連絡とったとか?」
「うんまあ。そう」
「新しいバイト先決まったんだったな。どんな感じ?場所は何処らへん?」

 どうしよう。どう返事したら正解?

まさか前にバイトしていた花屋からそう遠くない場所で、怪しい男の下で働いてるなんて。
それも、イヤラシイ下着を売る仕事。正直に言えば、辞めろというだろう。
そして親へ伝わる。それは、嫌だ。どうにかしてここを切り抜けなければ。

 幸が戻ってくる前に、遥や猪田が帰ってくる前に。
 鉢合わせなんかになったらそれこそどうなるか。

「駅のすぐ傍の高くて綺麗なビルでね。やっとマンションも借りられて。
まだまだ大変だけど何とか頑張ってるよ」
「そうか。よかった。おじさんやおばさんも心配してたから、これで安心だな。
専門学校卒業したら帰るんだろ?高い花嫁修業だっておじさん笑ってたよ」
「花嫁修業?」
「それで学校行ってるって聞いたけど?春花昔からお菓子好きだったし、
それもいいかもな。俺もお菓子は好きだから」
「……、私」

 夢があるから学校に通ってるの。花嫁になる為にしてるわけじゃない。

そう必死に口から放とうとしているのに。この根性なしの駄目な自分がそれを止める。
 言わなければ。でも、彼は何も知らないでただ素直に笑っている。

「じゃあ、また。たまには電話しろよ」
「うん」
「お菓子の試食もするし。街を案内してやるから」
「うん」

 またな、と軽く肩をたたいて、野崎は坂を上がっていった。
姿が見えなくなってからいっきに力が抜けて地面にしゃがみこむ。
結局何もいえず。何も反論できず。主張できず。夢をいえないままに。
 ほんとうに、弱虫で根性なしで。

「……消す」
「幸さん」
「あの男。消す」
「ま、待ってください。何処へ行くんですか!」

 そこに、飲み物を買って来た幸。タイミングが良すぎるからもしかしたら野崎が
去るまで待っていてくれたのかもしれない。時折見せるあの怖い顔をして
 飲み物を地面に置いて野崎の後を追う。
 
 何だか嫌な予感がして、追いかけようとする幸を止めるけれど。

「ほーら。運転手が勝手にどっか行くんじゃねえよ」
「殿サマ」

 幸を止めたのは遥だった。キツく腕を掴み先へ進もうとするのを強引に。
 後ろにはマリーの姿もあった。

「姉ちゃんがした事を無駄にすんじゃねえよ、黙って車動かせ」
「はるかちゃん、ごめんね。待たせちゃって。愛しの彼が居たような気がして、つい」
「あんなバケモノ追いかけてどうすんだよ、熊の熊狩りか」

 荷物を後ろに片付けて皆乗り込む。運転席には幸、助手席には春花。
後ろに乗ろうと思ったのだが遥があまりにも酒臭くセクハラを仕掛けるのでやめた。
DVDの事もあるし。あれは勝手に観てしまったという後ろめたい気持ちもあって
 言うにいえない。押し黙った幸を気遣いながらも車はビルへと戻った。








                                    つづく
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