沈丁花

第1章 /  第10話 








 あれから何度か集まって会議をしたがいい案は出ず。案が出ても風俗をしたがる遥と、
それを全否定する他の面々。マリーのメルヘン過ぎるお店に難色を示す男たち。
最後に意見を求められて、新人なので何も言うつもりはないけれどたとえ電話番でも、
 性風俗だけは嫌なんですと答えておいた。


「……変な夢みちゃったな」

 目覚まし時計の音にゆっくりを目を開ける。時刻は8時過ぎ。正直遅いと思う。
でも早く起きた所でここでは何も始まらない。
大きく背伸びをして服に着替える。派手な色の服もスカートにも3日もすれば慣れた。
 ただヒールの高い靴だけは馴染めなくて、上京してきたままの汚いけれど歩きやすい靴。

「やっぱりまだ居ないか」

 9時丁度。身なりを整えてから事務所へ入ってみるが誰の姿も無い。最低でもあと30分は
しないと無人だ。こんな調子でビルは大丈夫なのかとセキュリティがかなり気になるが
 鍵をしめておけば大丈夫とか暢気な返事が帰ってきた。

 ぼんやりソファに座っているのも退屈、テレビを観るのも勉強をするのも
 その気になれなくて、未だ謎の多いこのビルの探検に出た。

 適当に階段をあがってうろうろする。こんなに広いのにあの3人しか住んでいない。
買い取ってから他に誰かに貸しているわけでもないそうで。
 閑散とした部屋が幾つもあって、それが静か過ぎて不気味ではあるけれど。

「何だ、早いな」
「あ。どうも、おはようございます」
「おう」

 5階建てのビルの屋上はさぞかしいい眺めだろうと行き先を決めたら男の声。
振り返ると何時ものスーツではなくて、シャツにズボンという明らかにパジャマ。
寝ぼけてるんですか?と突っ込みたくなる格好の遥。
 悪びれる様子もなく、煙草をふかしながら此方に来た。

 煙いので一歩下がると、悪いといって煙草を携帯灰皿に入れて消す。 
 意外にその辺は気を使ってくれるようだ。

「どちらへ?」
「屋上」
「あ、あの、私も行きたいと思ってたんですけど。……駄目、ですか」
「特に何があるってわけでもないが、好きに行き来しな」
「はい」
「ただ、ちょっと臭いかもな」
「え?」

 臭い?いったい屋上に何があるのだろうか。

 動物とか飼っているならあまり行きたくないかもしれない。遥の後ろを歩く。
彼の背中は広くてがっしりしていて、でもちょっと猫背で。寝癖が凄い。
 どういう寝方をしているんだろうと不思議に思いながら階段を上がり重そうなドアを開けて。

 なんとも言えない甘い香りに包まれる。

 ドアの向こうにあったのは動物の顔ではなくて、屋上の半分を使って作られた庭園。
可愛い柵や花の名前のプレート、休憩用のパラソルの付いたベンチまである。
たぶん、これらは全部繊細で器用な猪田の趣味だろう。
あまり花には詳しくないからどんな花が植えられているのかさっぱり分からない。
 キョロキョロ眺めていると。

「猪が緑が無いと心に潤いが無くなるとか訳わからん事言って勝手に作った」
「凄いですね!綺麗な庭」
「世話すんのに半日は潰れちまう。こんな所に作って。虫は出るしよぉ」
「心に潤いが無いからですよ」
「十分潤ってるさ、好きな事して好きなように遊んで食って寝て。
潤いすぎて体がドロドロになるくらいだ」
「それじゃ根から腐ってしまいますよ?」
「はっ、そうかもなあ」

 花壇の花にはあまり興味が無いようで、説明にも気持ちが篭っていない。
せっかく整えられた綺麗な庭なのに、それには目もくれず煙草を吸いベンチに腰掛けた。
勿体無いと思いながら春花は花々を見て回る。好条件とは思えない場所でも咲いている花。
でも、どれも入ったときのようなあの香りがしない。
 何処から匂ってきたのだろう。

「……沈丁花」

 プレートにはそう書かれていた。春花でも名前くらいは知っている。
でも物を見るのは初めて。ひっそりと咲いている白い花。
 とても甘い香りを放つ。無意識に花びらに触れてみたくて手を伸ばす。

「触るなよ」
「わっ。び、びっくりした」

 遥が後ろに居て、凄く怖い低い声で止められた。

「花は無闇に触るもんじゃない。これは、……特に、大事な花だ」
「すみません」
「寒くなってきた。中に入るぞ」

 甘い香りを放っている触れてはいけない花。他の物には見向きもしないのに。
 この花だけは、他の花たちとは違う扱いを受けている。

 何か曰くがあるようだから、次からは気をつけよう。屋上からビル内へと戻る。
外よりはまだマシだが廊下も結構冷えた。事務所へ入ると既にマリーの姿があり、
 朝食を準備中だった。慌てて手伝いに加わる春花。

「まあ。屋上に?」
「はい。凄いですねマリーさんあんな綺麗な庭」
「あれは若の為に作ったのよ」

 皿を用意しながら先ほどの話をする。マリーはとても驚いた様子でこちらを見た。

「若の心が少しでも休まればと思って。……そう」
「あの、もしかして私無神経な事をしちゃいましたか?入っちゃいけなかったとか」
「ううん、そうじゃないの。でも、ちょっと妬いちゃう!」
「え?え?え?……え?」

 こちらを見て何やらニヤニヤしているマリー。その視線が何なのか分からないけれど、
今日も美味しそうな朝食は完成。皆と同じように貰うので大盛り。この調子だと
ちゃんと運動をしなかったら何キロ太るんだろう。でももりもり食べてしまう魔力。
 恐ろしい。

 マリーの料理の腕にひれ伏しながらこそっと遥を見る。怒っている様子は無いけど、
内心では怒っているのかも。ちょっと冒険してみたかっただけなのだが、
 新人バイトの癖にでしゃばっただろうか。

 未だに相手を何と呼ぶべきか分からないし、相手も姉ちゃんとかそんな呼び方だ。
 他2人とちがい、相手は雇い主でもあるから距離感が分からない。





                                    つづく
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