沈丁花

第1章 /  第5話 






 とあるビルの入り口にて。

「どうなさったんですか?若。ランチに行くのに花なんて買ってきちゃって。
まだ花は買わなくても足りているはずですけど?」
「ちょうどこれが欲しかったんだ。ほら、行く途中で明菜ちゃんにやるんだよ」
「明菜ちゃん? ああ、あの40越えの超ベテランホステス」
「馬鹿野朗!明菜ちゃんはまだまだ現役だろうが!失礼な事いうんじゃねえよ」
「若が結婚できないのってきっとその性癖の所為よね。幸ちゃん」
 
 外に待たせていた2人と合流して、食事をしようと表通りへと向かう途中の遥。
贔屓にしている花屋の店先で仕事をしているあの子を見て、格好つけて花を買った
はいいが移動するのにかさ張ってしょうがない。
エプロンを脱ぎ外行きの服に着替えた猪田と何時もと同じ黒尽くめな幸。
 遥のいい訳に呆れながらも、何となく察する2人。

 気になるのだろう、花屋の新人。あのかなり無茶をしている痛々しい子が。
 人にバレてないと思っているのが可愛らしいけれど。猪田は軽いため息。

「あら。あれってはるかちゃんじゃない?」
「あ?」
「……」
「宅配かしら?でもこんなお昼真っ最中に?大変ねえ」

 噂をすれば。単車に乗って裏の奥へ奥へと進んでいく春花の後ろ姿。
颯爽とではなくてのろのろと。途中とまっては地図の確認。
 何時もあんなゆっくりした調子で毎回運んでいたのかと見入ってしまった。



「えっと。ここの8階。と」
 
 見られているなんて知る由もなく、無事に目的のビルに到着。最初に入ったビルに
似ている所為か今度はさほど怖いとは感じない。花束を持ってエレベーターを使い8階へ。
昼間だしすぐ隣は表通りとあって最初は特に危機感はなかった。
むしろ、気楽なもの。ただ8階へあがるなり異様な装飾が目に付いて、何とか組とかいう
 物騒な名前が見えた時おかしいと気付く。
 
 ここは、ほんものだ。ほんもののヤクザの事務所だ。

「はあ?花なんか頼んでねぇけど?」
「そ、そうですかすみませんっ」

 怖がりながらもドアをノックしたら、やっぱりな見た目の怖いお兄さん。

「まあ中入りなよ、疲れたろ?お茶でも飲んでいきな」
「い、いえ。仕事ありますから」
「いいから」
 
 強引に引っ張り込まれた部屋の中には映画かドラマかでしか見ないような派手な
スーツの怖い顔した男たち。煙草臭い室内。もちろん抵抗はしたが男の力には勝てないし
恐怖で体が上手く動かず。このまま無傷で無事に帰れるとはとても思えない。

 店長が住所を間違えたのだろうか?でも何で敢えてこんな怖いところに?

 この話を持ってきたあの人なら分かってるはずだ。先輩の長井さん。
あの人はこの仕事をしてきて地理にも詳しいはず、もし危険な場所なら
 先に言ってくれるはず。でも何も言われなかったということは?

 わたし、だまされた。の?

「や、やめてっ」
「別に怖い事はしねえからさ、金なら欲しいだけやるし」
「離してっ」
「おい、大丈夫か?頭帰ってきたら」
「それまでに終わらせればいいだろ」

 恐れていた通りの展開で、ソファに倒され見知らぬ男が覆いかぶさってきた。
抵抗したら容赦なく頬を打たれる。このまま私は玩具にされる?
やっぱり田舎で地道に働いているのが良かった?こんなよく分からない所で。
 全く知らない男たちに力でねじ伏せられ、絶望して。

 殴られるなら、もう諦めたほうが良いかもしれない。その方が早く終わるかも。

 徐々に抵抗する気力は薄れていく。高い時給に乗せられてこんな不安定な場所を
選んだ自分が悪かったんだ。野崎や両親が思っている通り、自分は愚かだった。
 抵抗が無くなって勢いづいた男の手が胸へ伸び、首筋に吸い付く。

「うおっ!?」
「なっなんだ!?こりゃナイフ?!」
「何処からだ!」
「誰だっ!襲撃か!」

 目を閉じた暗い世界に何かかがソファに刺さる音と、男たちの声だけが響く。
恐る恐る目を開けるとソファにグサリと刺さっている鋭利そうな小型のナイフ。
男たちが呆然と見ている方向を自分もゆっくり視線を向ける。
 入り口に居たのは黒尽くめの青年。幸と。

「お前らよ、バレなきゃ何してもいいってか?棚田もアホな部下もったなあ」
「何だお前」
「はるかっちゃーん!大丈夫?もう怖くないからねーーっ!」

 遥と腰をくねらしながら此方に手を振るのは、普段着のマリーだ。

「な、なんだこいつ気持ち悪」
「テメエなめてんのかゴラぁ!乙女の敵じゃ!死ねや!どぅりぁああああああああああ!」
「ぐはっ」

 気味悪がった男は彼の逆鱗に触れ、漫画のように拳一発で軽く遠くへと吹っ飛んだ。
そのあまりの迫力に皆怖気づき一歩下がる面々。
何が起こったのかすぐには理解できなかったけれど、でも何故ここに彼らが居るのだろう。
 もしかしてこの男たちの仲間だろうか?

 やはり野崎の言うように彼らは。恐る恐る身を起こす。この先自分はどうなる
 のだろう。彼らが来てもまだ怖くて安心は出来ない。

「ど、何処の組のもんだ」
「おいおい。マジかよ新人か?それともナリだけのモグリか?
お前らの頭と一緒に風呂入って飯食って女ナンパした経験のある、ただの通りすがりだよ」
「か、頭のダチ…ですかい…へへ」
「そっちのオヤジさんとも懇意にさせてもらってるが?」
「そ、そんな……は、はは」
「お嬢ちゃんは返してもらう」
「ど、どうぞ!」

 あんなに威張っていた男たちがすんなりと道をあける。
 自分に覆い被さっていた男など物凄い勢いで隣の部屋に隠れた。

「行こうか」
「……」
「歩けるか」
「……」

 遥の言葉に頷く。乱れた服を必死に隠していると上着をかけてくれた。で
もいざ立ち上がると恐怖の所為か足がガクガクして上手く歩けない。
 幸を呼び彼に補佐をさせ運ばせた。2人で先に事務所を出る。

 振り返ることは、出来なかった。

「それじゃ、あの。そういうことで」

 残った2人の前に、この部屋で一番上らしき男が分厚い封筒を差し出す。
 中身は金だ。それでカタをつけようとしている。

「あんな素人相手に何イキってんだテメエ。あぁ?打ちのめされてえか」
「あーーー!痛い痛い痛い痛い!」
「こいつぁ悪い手だなぁ折っておこうかぁ?」

 その手から封筒を奪い適当に投げると、残った腕をキュっと軽くひねった。
 激痛に悶える男、怯えて何も出来ない他の連中。

「若。あんまりやると死んじゃいますから、そろそろ戻りましょ」
「次そのツラ見せたらタマ千切ってテメエに食わせるからよ。良いな三下」
「ひぃいいい!はい!すみません!ごめんなさい!」

 皆に睨みを効かせ、事務所を出ていこうとする2人だったが、
襲いかかっていた主犯格の男が、コソコソと四つん這いで逃げようとしていたので
 そいつには特別にケツにキツクを入れて制裁を加えておいた。


「……」
「……痛み。ある。か」
「……今になって少しだけ」
「……」
「馬鹿ですよね、何も確認しないで入って。人の言葉簡単に信じて。
ほんと……こういうの、向いてないのかな。あはは」
 
 先に外に出た幸と春花。安全な明るい所に出たら、その場にしゃがみこんだ。
生きて、そして頬を殴られたくらいですんでよかった。
でも、こうなったのは自分の責任。きっと助けてくれた遥たちも呆れている。
 恐怖と恥かしさと悲しさで涙が溢れてきて。どうしようもない自分が嫌だ。

 それからは上手く喋れずに時間だけが過ぎる。幸はその事に対しては何も言わなかった。
 ただ、泣いてうつむく春花の頭をポンと触れて撫でた。





                                    つづく
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