沈丁花

第1章 /  第2話 






  謎の空間から無事生きて帰還し、店に入ると店長が顔を出す。近場のはずなのに帰るのが
遅かったから、
 てっきり注意されるかと思ったけれどご機嫌そうだ。

「お疲れ。あのビルのお客さんたち、ちょっと疲れたでしょう?皆帰ってきた途端辞めちゃって
困ってたのよ。美緒ちゃんは進んで行ってくれて助かってたんだけど」
「そうなんですか」
 
 やっぱりワケあり物件だったらしい。美緒という人がどんな人なのかは知らないけれど、
自分はもう無理。
 辞めていった人の気持ちはよく分かる。あまりにもあの場所は異色だから。

「貴方は大丈夫そうね、いい控え選手になりそう」
「あははは……」

 苦笑しか返せないで、無事生還したことを密かに喜んだ。それから時間は過ぎていき夕方。
長かったバイトを終えて裏口から出る。今日はあれから数件宅配をしたからか
 何時も以上に疲れた。予想外の変な3人組にも出会ってしまったし。

「よう。お嬢ちゃん」

 おまけに昼間のスーツの男が目の前に立っているし。

「……あ」
「暇か?なんなら飯でもどうだ?」
「すみません。私、これから学校なんです。専門学校」
「へえ」

 これはなんて悪夢?順調だなんて生意気な事を考えた所為だろうか?
どちらにしろこれから学校へ行くのも体力的に辛いと思っているのに、
 あまりにも酷いです神さま。

「……」
「ちょっと話したいなって思って、別に疚しい事なんて考えてねぇよ?」
「……すみません、あの、急ぐので」
「あんた、田舎から出てきたばっかって感じだけど。アタリか?」
「はい」

 実はちゃんと人の顔を見るのが苦手。目を見て話すなんてもっと無理。
無理やり見詰めあっても怖いだけだ。相手が話しかけてこようとも、黙々と歩き出す。
こんな時自転車があれば楽だけど、それを買うお金は今の所ない。給料が入ったら買おう。
 何時でもカバンで攻撃出来るように身構えながら表通りへ向かう。

 早く人気の多い所へ行かなくては。

「お嬢ちゃん足速いな」
「……あの。い、田舎者だからって馬鹿にするのは勝手ですけど騙されるほど
お金持ってませんから。全然持ってませんから!本当に持ってませんから!」
「何の話だ?こっちは金に困ってなんかねえが?」
「と、とにかく。私は急いでいるので」
「じゃあ車乗ってけよ、おい幸!車!」
「え!?」

 目の前には黒塗りの高級車らしきものと、運転席にはあの青年。
前は車、後ろは男で挟み撃ち。結局男の車に乗せられて学校まで送られて、
頑張れよと笑顔で言われて。
 そこでやっと解放。なんだったのだろうか。

 あの人は何がしたかったのか、田舎娘を見てからかおうと思ったのか?
 小娘と思われるほど若くはないのに。
 とにかく体もなけなしのお金も無事でよかった。でも明日からが怖い。

『はい。野崎です』
「あ、あの。私、三瀬」
『春花。どうした急に?何かあったのか?』
「今ね、上京して製菓の専門学校に通ってるの」
『ご両親には』

 誰にも頼らないと決めたけど、こればかりは不安で仕方なくて。電話をかけたのは
上京して立派に警察官として働いている幼馴染。真面目で正義感が強くて。彼なら信頼出来るし
ちゃんと話を聞いてくれる。
 やや疎遠になっている今でもそうだと思う。優等生を好む両親ともとても仲がいい。

「どうせお前には無理だろうけど、学校へ行って満足するなら行けって」
『住む所は?バイトなんかももう見つけたのか』
「うん。花屋のバイト。住む所はまだ、なんだけど。給料が入ればなんとかなるかな」
『俺独身寮だからな。ごめん』
「ううん、そういう意味で電話したんじゃないの。野崎君、警察官だよね」
『ああ、といってもまだまだだけどな』
「……あの、実は」

 変な人に付きまとわれて、でも別に被害はない。何て言えばいいのだろうか。
何も起こってないただ声をかけられて近寄られて困った怖かったというだけ。
 警察は何か起きないと動いてくれないと誰かが何処かで言っていたような。

『あ。悪い、呼び出しがかかった。今度また会おう、じゃ』
「うん」

 ため息をついて携帯を仕舞うと泊まっている安いビジネスホテルへと向かう。
本当は専門学校の寮へ入る予定だった。なのに、夜間の生徒だからなのか
 ギリギリになって定員いっぱいですと言われて受け入れ拒否。

 親にはただでさえ反対されている上京、部屋を借りるお金や保証人は頼めなかった。
でもこれから上昇気流に乗っていくはず、そうなれば今の苦労なんてきっと笑い話だ。
 やっぱりバイト辞めないで頑張ろう。ここで辞めたら次が見つかる保障はない。


翌日。
気分をかえてバイト先へ向かう。不安が顔に残るとよくないと鏡の前で笑顔の練習。

「あのさ、三瀬さんだったよね?貴方、どういうつもり?」
「え?」

していたら、かなり不機嫌そうな顔で女性がやってきた、バイトの先輩だとは思うけれど。
何かしたっけ?まだそんな店長以外の人と関わることはしていないはず。

「新人の癖にさ、私の仕事取らないでくれる?貴女が店長に言ったんでしょ?あのビルの宅配」
「え?私はただ店長に頼まれただけです」
「そうじゃなくて、担当から外されたんだけど?貴方も彼目当てなんでしょう?」
「かれ?」

 スーツの男?エプロン?それとも無口な人?どれだろう。

 先輩の言っていることがよくわからない。彼らの宅配担当を外されて怒っているという
ことだけど。
それと自分がどう関係するのか。とぼけていると思ったのかますます苛立つ先輩。

「幸君。知ってるでしょ?マジで彼目当てだったら絶対に許さないから」
「いえ、あの、私は昨日初めて行ったので。そう言われてもよく分からないんです」
「じゃあ店長に私に戻すように言ってきて」
「はい」

 確かに綺麗な顔をしている人だったけれど、彼女のように何時も行く人には笑顔なんかも
見せているのだろうか?とりあえず怖い人が去ってくれてよかった。
だが悠長な事はしていられない、店長の所へ行って彼女に戻すようにお願いする。
 なんで自分が彼女の為にそんな事をするのか分からないが。

「でもね、先方が貴女を指名してきてるのよ。だから無理ね」
「え?私を?」
「長井さんには悪いけど、こっちも客商売だから。そっちで話し合って」
「……そ、そんな」

 もう2度と行きたくないんです。幾らそう訴えても相手に指名されてしまってはと
店長は聞いてくれない。それをどうあの怖い先輩に言えばいいのかわからないままに
彼女を避けながら仕事をこなす。言い訳ばかり考えながら。
 宅配の電話が入らなければいい。そう毎日花を欲しがるなんてないだろう。

 昨日配達したばかりだし。暫くは来ないだろう。

「三瀬さん宅配お願いします」
「はい」

 何て考えていると宅配の仕事。昨日よりはマシだがそれでも緊張しながら
 準備をしていると。

「よかったわねえ、またご指名ですって」
「…は…はい」

 最悪だ。




                                    つづく
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