冬の空



ちょっと前までは平気で我慢できたのに。
我慢することが普通で当然で、咲良の特技だったのに。
一度ワガママを知ってしまったらダメだ。もう我慢できなくなる。

「お兄ちゃんに迎えに来てもらおうかな」

小枝はいつも羨ましがるけれど、学校から寮までは思いの外遠い。
学校の敷地内にあるがその土地自体が広い。今でも迷うくらい。
もちろん街に住んでいる方が遠いのはわかっているけれど。
過ごしやすい季節ならいざしらず夏の暑さや冬の寒さは堪える距離。
ちょっとなら大丈夫かなと油断してた。
今窓から外見たら薄暗く雪までじんわりと降ってきた。寒いわけだ。
マフラーと手袋と学校指定のコートと着込んでいるけれど。
この寒い空間を1人で帰るのには勇気がいる。
それでも部活動で動き回っている人が居るのだから凄いと思う。
とぼとぼと1人読みたかった本を返すために廊下を歩く。
そう、まだ寮には戻れない。さっさと返して兄たちと帰ればよかった。

「お疲れ様です、明華様」
「明華様。今おかえりですか?」
「よろしければご一緒に」

生徒会室の前を通ろうとしたところにちょうど出てくる生徒たち。
上級生の女子数名とその真中に男子が1人。

「…兄さま」

咲良は何も悪いことはしてないのになぜか教室の影に隠れる。

「申し訳ないけど、僕はまだ寄るところがあるんだ。気をつけて」
「残念です」
「お気をつけて帰ってくださいね」
「明華様に何かあったら心配で」

明華が生徒から信頼され特に女子からは王子様扱いな生徒会長なのは知っている。
咲良からみても優しいしかっこいいし頭もいい兄さまは王子様だ。
他のお兄ちゃんたちもそれぞれにファンが居てあんなふうに移動するたびに声をかけられて。
母親が彼の父親と再婚しなければ一生縁のなかった相手だともわかっている。

「やっぱり居たね咲良。おいで。帰ろう」
「…兄さま」

隠れてしょんぼりしているとそんな咲良の側に近づいてくる明華。
とっさに隠れたつもりだったのにどうやら最初から分かってたみたい。

「咲良の甘い香りがしたんだ」
「…今日デザートにぷりん食べたの」
「じゃあ夜はエクレアにしようか」
「エクレアも好き」

優しく咲良の頭を撫でて微笑む。
帰りたいけどまずは本を返しに行かないとダメなのと答えると
じゃあ一緒に行こうとなって。2人で図書館までの道のりを歩く。
距離があるからその間今日一日の出来事を話しながら。

「明華様」
「静かに。僕のことは気にしないでいいから」

図書館へ入ると思いの外残っている生徒が居て。
明華の登場に少々場がざわめいた。
咲良はすぐにここから出たくて急いで本を返しに行く。
またさっきみたいに女の人に囲まれたら一緒に帰れない。

「明華様。部のことでご相談が」
「……明日でもいいかな。今日はもう帰りたいんだ」
「はい。では、明日」

駆け足で兄の元へ戻るとやはり囲まれている。

「生徒会長は忙しそうですね」
「君は」
「忘れました?何度もパーティでお話をしているのに」
「忘れたわけじゃないですよ、鈴原さん」

他の女子はさっさと帰っていったのに1人だけしぶとく残る女子1名。
2年生だということしか咲良には分からない。でも、なんだか馴れ馴れしい。
お友達だろうか。でも、一度も紹介されたことがない。
咲良はまた隅っこに隠れて様子をうかがう。

「いろんな噂を耳にします。外国からの留学生も貴方が呼んだとか」

あと、出自不明の女子1名。その子にかなり執心とか。

「ええ。昔からの友人なので。是非にと」
「明華様は何を考えていらっしゃるのかしら。
いつも笑顔で接してくださるのに。その心は閉ざされていて見えない」
「僕の心を見た所で何も変わりはしませんよ。…それでは、これで」
「ええ。またお会いしましょう」

いつものように笑みで誤魔化されて大事なことは何も聞けなかった。
悔しさはあったが引きずって面倒な女と思われるのもこちらのプライドが許さない。
明華は咲良の居た場所へ向かうが彼女は何処かへ移動してしまったようで。
図書館を出た気配はないからこの中にいるはず。

「絵本の王子様はなんで頭くるくるしてるのかな」
「この世界のはやりなんじゃない?」
「そっか」

探しまわってやっと見つけた咲良は絵本のコーナーに居た。
その場にしゃがみこんで絵本を眺めている。
題目は分からないが王子様が出てくるものらしい。

「帰るよ咲良。外はもう暗くなっているから」
「さむいね」
「うん。でも、手をつないで帰ろう」

咲良は大人しく本を片付けて一緒に図書館を出る。

「でもそれすると怒られちゃう」
「誰が怒るの?」
「わからない。けど。怒られちゃう」

明華と学校で人目につく所で手をつないだりするとあとで知らない人が来て
何様だとか明華様に近寄るなとか怒って去っていく。
今のところ殴られることはないけれどすごく怖い顔をして睨まれるから。
小枝いわくヒガミだから気にするなと言われたけど。

「そっか。ごめんね咲良。僕が君をちゃんと守れてないから」
「ううん。兄さまは守ってくれてるのわかってるよ」
「咲良」

にこっと笑って返すと明華も嬉しそうに微笑み返した。

「わあ。寒い…!」

でも靴をはいて外にでると一気に顔をしかめ身を縮める咲良。
風も強くなっていて顔が痛い。冬の淀んだ夜の空。
いつの間にか部活をしていた人たちもいなくなっていて、
1人だったら心が折れていたかもしれない。寂しい時間。

「よし。行こう」
「え。あ。…わ」

走るくらいの勢いで行こうと思ったら明華に手を引かれて。
そのまますんなりと抱っこされる。

「走るから僕にしっかりくっついてるんだよ」
「だ。だめだよ。抱っこはだめ!怒られ」
「見てないよ。誰もいない」
「…でも」
「さ。行こう」

暖かい。あと、ほのかにいい匂いのする兄さま。
抱っこされてその顔を間近で見ながらダッシュで寮まで行く。
流石に息切れするとそこは歩きで。
何度と無く「重いからおろして」と懇願するも「軽すぎる」と返され
降ろされることなく結局寮の玄関まで抱っこされてきてしまった。

「兄さま腕いたくない?」
「うん。平気」
「…ありがとう」
「かっこよく寮まで息切れなしに抱っこしたかったのにな。
もっときちんと運動をしないとだめだね。はは」

咲良を抱っこして運ぶなんてキースなら軽々とやったろうし
セシル兄でもできたろう。シュトラウスは彼らほどは多分出来ないと思うけど。
西洋人のポテンシャルは計り知れない。
運ぶと決めたのならもっとかっこよく妹を運べないと格好が悪いのに。
明華は笑みを浮かべながらも内心自分の弱さにがっかりする。
これはジム行くしか無いか。

「さらも運動してむっきむきになるんだもん」
「え?」
「ダッシュして寮に帰れるようになる。そしたら寒さなんてわからないもんね」
「……あ。う、うん。そう、かな?」

ムキムキした咲良はちょっと…いや、かなり見たくない。
でも本人はやるきまんまんなので何も言わないでおく。


「ぽかぽか…眠い」
「ほら。咲良。腹筋するんじゃなかった?」
「…する」

夕食後、温かい部屋でのんびり休憩。ではなくて特訓。
危なっかしいことをしないだろうかと咲良についていった明華。
だがそれは杞憂に終わる。
彼女は柔らかいソファの上で気持ちよさそうに一眠り。
明華は微笑みながらそんな彼女に膝枕をした。

「寒さ対策は必ず改善させるからね。咲良は無理せずに楽にしていて」
「でも」

咲良の頭を撫でると実に心地よさそう。

「僕が居る限り君に無理はさせない。絶対だ」
「兄さま。…でもさら、やっぱりちょっとくらいは鍛える」
「どうして?」
「もし明華兄さまや他のお兄ちゃんたちが寒くて動けなくなった時に
抱っこは無理だけど手を引っ張って走れるように!体力つけておかなきゃ」
「……優しいな咲良は」
「よぉし!」

眠る一歩手前で奮起して起き上がる咲良。
明華に足を向けて持ってほしいとお願いして腹筋をし始める。
といってもいきなりスイスイできるわけもなく。

「咲良」
「ふんーーーー!ふんーーーーーー!」
「…無理、しちゃだめだよ」
「明華兄さまにたっちするのーーー!」

必死に手を伸ばして明華に触れようとするがまったく起き上がる気配なし。
足を持っているが意味がなさそうだ。

「ほら。好きなだけ僕に触っていいよ。君だけの特別だ」

明華は自分から体を起こし咲良に近づく。
まるで彼女を下に組み敷いて上に乗る形。

「……兄さまから来たら意味ないの」

咲良は顔が近くて恥ずかしそうに視線を逸らした。
そんな彼女のおでこにキスをして体を戻す。
あまり意地悪をすると泣いてしまうし、何より他のヤツがうるさい。

「よし。じゃあ咲良。僕の肩に触れられたら大好きなケーキ食べ放題」
「がんばる!」
「ダメだったら僕にキスするんだよ」
「え。あ。う、うん。がんばる」
「あれ?嬉しそう?」
「そんなことないもん!」

ぷくっと頬をふくらませながらも必死に腹筋を鍛えようと手を伸ばすのが可愛くて。

「ひどいやつだなお前は」
「全くだ。可哀想に」
「…止めてあげるべきだったね」
「申し訳ないと思ってる」

いきなりそんな何度も腹筋なんかして筋肉痛の恐れがあったのにすっかり忘れ。
翌日さっそくお腹が筋肉痛で悲痛な顔をする咲良を前に
明華はただただ謝るしかできなかった。


おわり



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